私の家には、ゲーム機がなかった。
単純に貧乏だったんだろうな。
1981年生まれの私だが、小学2年生くらいまで自意識が芽生えなかったので、それ以前の記憶がない。
小学3年生になったときに、友だちの下敷き(これは今でも使われているのだろうか)が、ドラゴンクエスト3の下敷きだった。
いまではわかるけれど、当時は「ドラゴンクエスト3」がなにを意味するものかまったく理解できなかった。
しかも下敷きの裏には、「じゅもん」と呼ばれる謎の言葉と効果が書いてある。
メラとかヒャドとか、なにを言っているのかわからなかった。
けれども、その言葉の響きにワクワクしたことは覚えている。
極めつけは、パルプンテだった。
そこには確か、「何が起こるかわからない」と書かれていて、そんなものがあるのか?という驚きがあった。
知りたいなぁ、みたいなぁと思っていた。
その下敷きは、これ。
そう、これ。
かすかにパルプンテとかの文字が見えます。本当になつかしい。
そうして、それがゲームと呼ばれるものだと気づくのは小学3年生の終わりごろだったと思う。
近所の家にファミコンを持っている4才くらい年下の友達がいた。
この家に遊びにいって、ゲームというものに触れていた。
ドンキーコングとマリオワールド3を何度も何度もやらせてもらっていた。
多分、遊びにいった日のプレイ時間は1時間くらいの時間だったが本当に熱中してやっていた。
そういう経験がありながら、ゲームが欲しいなぁとは微塵も思っていなかった。
まだ自我の形成がおぼろげで、自己の意思というものをはっきりと持っていなかったためだ。
ただぼんやりと生きていたのだ。
私のゲームの前提はこのようなものだった。
ようやく、ゲームボーイの話題ができる。
ある日、家に帰ってくるとゲームボーイがあるよ、と母親に言われた。
ゲームボーイ。
聞いたこともない。
なんだそれはと思いながら、ゲームボーイの箱を開ける。
(新しいモノの箱を開ける、というワクワク感や緊張感を最近かんじなくなったなぁ)
たぶん、ファミコンらしきものだろう。
不安と期待が入り交じっている。
触ってみても、どういったものかわからない。
なにをどうしたらいいのか。
そして一緒に「スーパーマリオランド」という箱もあった。
早速開けて、ソフトをゲームボーイに差し込んでみる。
電源をオンにすると、「Nintendo」のマークが降りてくる。
ピリィーン!!
(これも当時は意味がわかっていない。そもそもローマ字は読めないし、任天堂を知らない。なんと思っていたのだろうか。)
そこからは夕食になるまで、没頭してマリオランドをやっていた。
いま、改めてマリオランドの画面を見てみると、本当に懐かしい。
ボスを初めてみた時、何かが違うことを感じ取り、心臓がバクバクし、どう対処したら良いかもわからなかった。
あまりにもドキドキして、すぐに死んでしまった。
トライアンドエラー。
何度も何度もクリアした。
どこで敵が出て、どんな攻撃をしてきて、どこが近道かを知り尽くしていた。
マリオシリーズであまり見ないけれど、マリオランドは潜水艇や飛行機に乗って敵を倒すシューティングゲームの要素がある!
ゲームボーイは、私に「ゲーム」という強烈な原体験を与えてくれた。
そして、ぼんやりと生きていたところに、意思を持って何かをやる、ということを暗に気づかせてくれる道具だった。
大人になって、もうゲームボーイやたくさん買ったソフトも何処にあるのかわからない。
あんなに大事に大事にしていたのに、今は執着がなくなっている。
でも、こうして時折、思い出すとどうしようもない気持ちになるのはどうしてだろうか。
あぁ、これが歳を取ったということか。
いや、遠いと思えるほどに時間が経ってしまっただけにしておこう。
豆腐でした。
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