トランプがアメリカの薬価を下げる宣言。その法的根拠から国際的な影響のシナリオ

drugcost 暇つぶし

2025年時点で再び政権を担うトランプ大統領が、それぞれ異なるアプローチで米国の高すぎる薬価問題に取り組もうとしています。しかし、その政策は本当に実現可能なのか?

Trump Seeks to Align US Drug Costs With Cheapest Ones Abroad
President Donald Trump said he plans to order a cut in US prescription drug costs by mandating that Americans pay no mor...

国民にとっては朗報となるのか、それとも「薬が買えなくなる」だけなのか?

さらに、この米国の動きは世界の製薬業界や医薬品アクセスにどのような影響を与えるのでしょうか。本記事では、複雑に絡み合うアメリカの薬価問題を深掘りし、その法的根拠から国際的な影響までを徹底解説します。

バイデン政権の挑戦:インフレ抑制法による薬価交渉

2022年に成立した「インフレ抑制法(Inflation Reduction Act, IRA)」は、バイデン政権による薬価引き下げ政策の大きな柱です。

法的根拠と制度の概要

  • インフレ抑制法(IRA): この法律の核心は、米国の高齢者向け公的医療保険制度である「メディケア」を通じて、政府が製薬会社と特定の医薬品の価格交渉を行う権限を得た点にあります。
  • 価格交渉の対象: 2026年1月から適用される最初の交渉対象として、糖尿病治療薬「ジャルディアンス」や抗凝固薬「エリキュース」など10品目が選ばれました。
  • 期待される効果: これらの交渉により、メディケアは約60億ドルの財政節約が見込まれ、受給者の自己負担額も大幅に減少すると期待されています。

「たった60億ドル」の意味と限界

年間約4.5兆ドルに上る米国の総医療費、そのうち処方薬市場だけでも約5,000億ドル規模から見れば、「60億ドルの削減」はわずかなものに過ぎません。これは、価格交渉の対象が初期にはごく一部の高額医薬品に限定され、民間保険市場は対象外であるためです。
しかし、この政策の意義は、これまで製薬会社の「聖域」であった薬価決定に政府が初めて本格的に介入する「一歩目」を築いた点にあると言えるでしょう。

製薬業界の反発と実現可能性

製薬業界は、この価格交渉が研究開発(R&D)への投資を減少させ、新薬開発のイノベーションを阻害すると強く反発し、法的な異議申し立ても行っています。

しかし、これまでのところ裁判所は政府の価格交渉権限を支持する判断を示しており、政策の実現可能性は高いとみられています。一部では、製薬会社が米国外への供給を優先する可能性も指摘されますが、巨大市場である米国からの完全撤退は現実的ではないと考えられます。

トランプ大統領の再挑戦:「最恵国待遇」政策の行方

2025年、再び大統領に就任したトランプ氏は、かつて提唱した「最恵国待遇(Most Favored Nation, MFN)」政策を再び打ち出し、米国の薬価を「世界で最も薬価の低い国と同じ水準」に引き下げるよう義務付ける大統領令に署名するとしています。これにより薬価が30~80%下がる可能性があると主張しています。

法的根拠と過去の経緯

  • 大統領令: トランプ氏の政策の根拠は「大統領令」です。これは大統領が連邦行政機関に指示を出す形式で、過去にも2020年に同様の「最恵国待遇」政策に関する大統領令が発令されましたが、製薬業界からの多数の訴訟により実施が停止された経緯があります。
  • 対象範囲の不明確さ: 今回の大統領令が、メディケアやメディケイドといった政府の医療制度のみに適用されるのか、特定の医薬品に限定されるのか、あるいは民間保険を含むより広範な市場に適用されるのか、詳細は明らかにされていません。この不明確さが市場の不安を煽っています。

実現可能性への大きな壁

この政策の実現には、法的・政治的に高いハードルが存在します。

  • 議会の承認: 大統領令で政府プログラム(メディケア等)の価格基準を設定することは可能かもしれませんが、民間保険市場や薬局の小売価格にまで強制力を持たせるには、議会による新たな立法が不可欠です。
  • 製薬会社の抵抗: 製薬業界は、研究開発投資の減少やイノベーションの阻害を理由に猛反発することが予想されます。最悪の場合、「米国で薬が買えなくなる」という供給停止をちらつかせた対抗措置や、大規模な訴訟合戦に発展する可能性があります。
  • 国際的な問題: 製薬会社が米国以外に安く薬を卸すことを「違法にする」という一部のアイデアは、世界貿易機関(WTO)のルールや二国間通商条約に抵触する可能性が極めて高く、実現は困難です。

現実的な影響:「薬が買えない」事態の懸念

もしトランプ氏の政策が強行されれば、製薬会社は米国市場での採算が悪化するため、価格統制のない他国への販売を優先したり、米国への供給量を絞ったりするインセンティブが働きます。

その結果、米国内では「薬価は下がったが、薬そのものが手に入らない」という深刻な事態を招く可能性があります。

なぜアメリカの薬価は世界一高いのか?

そもそも、なぜアメリカの薬価はこれほどまでに高額なのでしょうか。

  • 自由な価格設定: アメリカは、先進国の中でほぼ唯一、製薬会社が医薬品の価格を自由に設定できる国です。政府による直接的な価格統制がほとんどありません。
  • PBM(薬剤給付管理業者)の存在: PBMは、保険会社と製薬会社の間で薬価交渉や処方箋管理を行う中間業者ですが、その取引の不透明性やリベート構造が薬価を押し上げる一因になっていると指摘されています。
  • 研究開発費の回収: 製薬会社は、莫大な費用と時間がかかる新薬の研究開発コストを、価格規制の緩い巨大市場であるアメリカで回収しようとする傾向があります。

製薬会社はなぜアメリカ以外で安く薬を売れるのか?価格差別の実態

アメリカの薬価が突出して高い一方で、同じ薬が他の先進国ではるかに安価に販売されているのはなぜでしょうか。これは「採算度外視」なのではなく、戦略的な「価格差別」が行われているためです。

安価販売の理由

  1. 各国の政府による薬価規制: 日本や欧州諸国など多くの国では、政府が薬価を決定、あるいは厳しく管理しています。製薬会社は、その国で薬を販売するためには、その価格を受け入れざるを得ません。
  2. ボリュームディスカウント: 国単位での一括購入や長期契約により、単価が低くても安定した販売量が見込める場合があります。
  3. 戦略的意義:
    • 承認・販売実績: 先進国での販売実績は、他国(特に新興国)での医薬品承認や販売をスムーズに進める上で有利に働きます。
    • グローバルなデータ収集: 欧州やアジア市場での販売を通じて、多様な人種における有効性や安全性に関する貴重な臨床データ(リアルワールドデータ)を収集できます。
    • 市場育成: 将来的な市場成長を見越して、初期は低価格で普及させ、ブランド認知度を高める戦略を取ることもあります。

アメリカ市場が支えるグローバル戦略

製薬会社は、研究開発費を含めた総コストを回収し利益を上げるために、価格決定権の大きいアメリカ市場で高価格を設定し、他国での低価格販売や戦略的な赤字販売(製造原価はカバーできても開発費は未回収など)を補填するというビジネスモデルを採っていることが多いのです。つまり、アメリカの消費者が、ある意味で世界の薬価を支えている構造とも言えます。

具体的な薬価差の実例

以下に、米国と他国での薬価差が顕著な医薬品の例を挙げます。(注意: 価格は時期や条件により変動します。あくまで参考としてご覧ください。)

薬剤名 (商品名): セマグルチド (オゼンピック/ウゴービ)

用途: 2型糖尿病/肥満治療

米国価格 (月額またはコース): 約$936~$1,349/月

他国価格 (例): 日本: 約$169/月, フランス: 約$83/月

価格差 (概算): 約5~11倍

薬剤名 (商品名): ソホスブビル (ソバルディ)

用途: C型肝炎治療

米国価格 (月額またはコース): 約$84,000/12週コース

他国価格 (例): 日本: 約$300/12週, インド(ジェネリック): 約$300/12週

価格差 (概算): 約2~280倍

薬剤名 (商品名): ピリメタミン (ダラプリム)

用途: トキソプラズマ症治療

米国価格 (月額またはコース): 約$750/錠 (一時)

他国価格 (例): 英国: 約$0.66/錠, インド: 約$0.04~$0.10/錠

価格差 (概算): 約7~1,875倍

薬剤名 (商品名): エクリズマブ (ソリリス)

用途: 発作性夜間ヘモグロビン尿症

米国価格 (月額またはコース): 年間約$409,500 (2010年)

他国価格 (例): ドイツ: 約€430,000/年 (約$500,000)

価格差 (概算): 同等~1.2倍

薬剤名 (商品名): トリカフタ (エレクサカフトル/テザカフトル/イバカフトル)

用途: 嚢胞性線維症治療

米国価格 (月額またはコース): 年間約$311,000

他国価格 (例): 豪州: 約$30/月 (政府補助後)

価格差 (概算): 約10~1,000倍

もしアメリカが大幅な薬価引き下げを強行したらどうなる?

アメリカが「最安国並み」といった強硬な薬価引き下げ策を本格的に導入した場合、製薬会社は以下のような対応を取る可能性があります。

  • アメリカ市場での製品投入の遅延・限定: 採算の合わない新薬や特定の医薬品について、米国での販売を見送ったり、供給量を制限したりする動きです。
  • 他の先進国への価格引き上げ要求: 米国での減収を補うため、日本や欧州など薬価規制のある国々に対し、新薬の価格設定などでより高い価格を求める圧力が強まる可能性があります。しかし、各国の薬価制度があるため、一方的な値上げは困難です。
  • 研究開発費の圧縮・開発対象の選別: 収益性の低い分野や、開発に莫大なコストと時間がかかる革新的新薬(特に希少疾患治療薬など)への投資が抑制され、新薬開発のパイプラインが細る恐れがあります。
  • 新興国向け供給の見直し: CSR(企業の社会的責任)やデータ収集目的で低価格供給されてきた新興国向けの医薬品についても、米国市場での収益が悪化すれば、供給体制が見直される可能性があります。

最悪の場合、製薬会社が米国市場から撤退したり、世界的に医薬品の供給が不安定になったりする「薬の断絶」という事態も懸念されます。

中国と世界の医薬品サプライチェーン

アメリカの薬価問題や医薬品供給を語る上で、中国の存在は無視できません。

  • 世界の「原薬(API)工場」: 中国は、医薬品の有効成分である原薬(API)の主要供給国です。特にジェネリック医薬品の多くは、インドで製造されていますが、その原料の多くは中国から供給されています。つまり、中国のAPI供給が滞れば、世界のジェネリック医薬品供給に大きな影響が出ます。
  • コスト競争力と品質問題: 中国産APIは安価である一方、過去には品質問題も指摘されており、各国は中国依存からの脱却を模索しています。しかし、コストと供給規模の面で完全に代替することは容易ではありません。
  • 中国製薬企業の台頭: 中国国内の製薬企業も成長しており、国内市場だけでなく、国際市場への進出も目指しています。これは、欧米や日本の大手製薬企業にとって競合となると同時に、提携の機会も生み出しています。
  • 地政学リスク: 米中対立の激化は、医薬品サプライチェーンにも影響を及ぼしています。米国は国内製造の強化や供給網の多元化を進めており、医薬品が安全保障上の重要物資として認識されるようになっています。

ジェネリック医薬品も安泰ではない?

先発医薬品の特許が切れた後に販売されるジェネリック医薬品は、本来安価であるはずです。しかし、アメリカでは事情が異なります。

  • PBMの影響と競争不全: アメリカでは、PBMの介在や、一部のジェネリック医薬品における供給企業の寡占化などにより、ジェネリックであっても価格が高止まりするケースが見られます。他国と比較すると、依然として高価な場合が多いのが実情です。
  • 供給不安リスク: ジェネリック医薬品も、APIの多くを中国に依存しているため、地政学的な緊張やサプライチェーンの混乱による供給不安リスクを抱えています。実際に、一部の基本的な抗がん剤などで品薄が発生する事例も報告されています。

世界規模での薬価高騰・医薬品不足の懸念

アメリカの薬価政策の変更は、以下のような世界的な影響を引き起こす可能性があります。

  • 薬価の世界的な高騰: アメリカでの薬価引き下げ圧力が強まると、製薬会社はその損失を他国で補おうとし、結果的に世界中で新薬の価格が高騰する可能性があります。
  • 医薬品不足・供給断絶: API供給網の混乱、製薬会社の戦略変更(採算の合わない国からの撤退など)により、特定の医薬品が世界的に不足したり、入手困難になったりするリスクがあります。
  • 新薬開発の停滞: 研究開発投資の魅力が低下し、革新的な新薬の登場が遅れたり、特定の疾患領域での開発が停滞したりする可能性があります。

これまで「薬は高すぎて買えない」という経済的なアクセス問題が中心でしたが、今後は「必要な薬が物理的に手に入らない」という供給の問題が深刻化するかもしれません。

アメリカの医療費と平均寿命のパラドックス

アメリカは、国民1人当たりの医療費が世界で群を抜いて高いにもかかわらず、平均寿命は他の先進国と比較して低い水準にあります。この矛盾はなぜ生じるのでしょうか。

  • 極端な医療格差: アメリカでは、富裕層は世界最高水準の医療技術や新薬にアクセスできる一方で、保険に加入できない、あるいは十分な医療を受けられない層も多く存在します。この極端な格差が平均値を押し下げています。
  • ハイテク医療への集中: 最先端の医療技術や高額な治療法への投資は莫大ですが、それが国民全体の健康水準向上に必ずしも効率的に結びついていないとの指摘もあります。
  • 公的保険の限界と社会問題: メディケアやメディケイドといった公的保険は存在するものの、カバー範囲や自己負担の問題があります。また、銃犯罪、薬物乱用、肥満といった社会問題も平均寿命に影響を与えています。

つまり、アメリカの高額な薬価や医療費が、必ずしも国民全体の長寿に直結しているわけではないのです。一部の人々が高度な医療の恩恵を受ける一方で、多くの人々が経済的な理由や社会的な要因で十分な医療を受けられずにいるという現実があります。

複雑な構造問題の行方

アメリカの薬価問題は、単に「薬の値段が高い」という単純な話ではありません。それは、国内の医療制度、製薬業界のビジネスモデル、国際的なサプライチェーン、そして政治的な思惑が複雑に絡み合った構造的な問題です。

バイデン政権によるインフレ抑制法や、トランプ大統領が推し進めようとする「最恵国待遇」政策は、この巨大な問題に一石を投じる試みですが、その実現性や影響については依然として不透明な部分が多く、製薬業界からの強い抵抗も予想されます。

確かなことは、アメリカの薬価政策の動向が、米国民の医療アクセスだけでなく、世界の医薬品開発や供給体制、さらには各国の医療保険制度にまで大きな影響を及ぼし得るということです。

この問題の行方を、読み切るシナリオはなかなか難しいです。

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