あの頃の面影はどこへ?懐かしキャラの「大人化CM」に感じる違和感と、伝わらない商品の本質

なつかしいアニメ 暇つぶし

最近のテレビCMやWeb広告を見ていて、懐かしいアニメキャラクターたちが、大人になって登場してくるCMの数々があります。もう10年くらいこの潮流があるように思います。

私はどこかモヤモヤとした違和感があり、言葉にしてみました。

「あのままの彼ら」ではない、という寂しさ

今、CMに登場するのは、出版社で働く“キャリアウーマン”まる子や、都心で一人暮らしする“落ち着いた”しんちゃんだったりします。

それはそれで面白い試みかもしれません。しかし、彼らの持ち味だった「ちょっとダメなところ」「子どもっぽいわがまま」「でもだからこそ愛おしい」といった要素がすっかり削ぎ落とされ、現代社会が好むテンプレート化された“大人像”に当てはめられている印象を受けてしまうのです。

キャラクターは「理想の消費者モデル」じゃない

CMの中で「大人になったキャラクター」が登場するとき、彼らはたいてい社会的に自立し、洗練され、スマートに生活している様子で描かれます。
しかし、視聴者が本当に見たいのは、そんな立派な姿なのでしょうか?

私たちは、彼らの「人間くさい」一面に共感し、癒やされてきました。だからこそ、そのキャラクターのらしさを失ったまま、「この商品を使う大人になりました」と言われても、心に響かないのです。

豆知識: 実際に『ドラえもん』では「もしも大人になったら?」というテーマのスペシャルアニメも制作されており、原作の世界観を丁寧に活かした内容で好評を博しています。広告でもそうした物語の延長線を意識すれば、もっと受け入れられるのかもしれません。

「懐かしさ」の演出は、もはや飾りに過ぎない

広告クリエイターの中には、「とにかく見てもらうことが大事」と考え、知名度のあるキャラクターをノスタルジックなフックとして使いたがる傾向があります。

確かに一瞬の注目は集められるかもしれません。しかし、注目のその先に「何を伝えるのか」が見えてこないCMは、ただの回想シーンに終わってしまいます。また原作となにも関係がなく、名前だけ合っているような別物にしか見えません。

消費者が本当に知りたいのは「商品の中身」

「で、結局この商品は何が良いの?」これが多くの大人が抱える本音です。
私たちがCMを通じて知りたいのは、商品の機能性、品質、便益、体験、そして企業の哲学です。

  • 機能性: どこが他と違うのか?
  • 品質: 安心して使えるか?
  • 便益: 自分の生活をどう変えるのか?
  • 体験: 使ったときにどんな気持ちになるのか?
  • 哲学: 企業のこだわりや背景は?

こうした要素をきちんと伝えたうえで、「懐かしさ」がほんのり漂うなら、それは素敵なCMになるでしょう。ですが、逆に本質を語らず、懐かしさだけを押し出す広告は、「中身で勝負できないから誤魔化している」とすら受け取られかねません。

私たちの記憶は、売り道具じゃない

懐かしい気持ちを呼び起こすこと自体は悪いことではありません。
でも、それは感情を「刺激する」のではなく、「尊重する」ものであってほしいのです。
私たちの記憶や感情は、企業の売上のための「共感装置」ではありません。

広告が「思い出」や「感情」に触れるなら、そこには誠実さが求められます。大人になった今だからこそ、感情だけでなく、価値に基づいた選択をしたい。

そんな視聴者の目線に、クリエイターはもっと寄り添ってほしいのです。

懐かしさ×価値訴求。理想のCMとは?

理想のCMとは、次のようなスタイルではないでしょうか。

  • 懐かしいキャラクターが、昔と同じキャラクターで登場する
  • そのキャラクターが、自分の言葉で商品の価値を語る
  • 商品を使うシーンにリアリティと物語性がある

「大人になった彼ら」でも構いません。
でも、それが本当に彼ららしい生き方であり、その中で商品が自然に使われているなら、私たちはきっと心から共感できるでしょう。

懐かしさのその先に、本質的な価値を

キャラクターの知名度や思い出に頼った広告は、確かに目は引きます。ですが、それが商品の魅力を語らないものであれば、すぐに飽きられてしまいます。

これからのCMに求められるのは、「なつかしいね」で終わらず、「これはいいね!」と思わせるだけの中身です。私たちは、過去ではなく、今と未来の生活に役立つ価値を探しているのです。

なつかしいアニメを大人にする乱立ぶりを見ると、ウケていることだとは思うのですが、完全に離れるユーザーを作り出している現象に思います。

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