2025年7月20日、参議院選挙の開票日に行われた思想家・東浩紀氏のYouTube配信「選挙雑談」は、わずかにして濃密な知的対話の試みでした。
約9時間にわたるこの番組は、従来の選挙特番とは一線を画し、政治的立場の異なる人々が「一緒に語る」ことの可能性を鮮やかに提示してみせました。
硬直した報道から、雑談という新たな対話の地平へ
この配信は、NHK、池上彰氏、ポリタス、高橋洋一チャンネルといった他の選挙報道を横目に見ながら、東氏が視聴者と共に「雑談」を通して語り合うという形式で進行しました。専門家としての鋭さはありつつも、メディア論的視点や茶目っ気あるトークでゆるやかに展開されるスタイルは、政治談義を開かれたものへと変えていきました。
終盤、東氏が「熱く喋りたい人、五反田来ない?」と声をかけると、本当に何人もの視聴者がゲンロンカフェに足を運びはじめ、まさかのライブ飛び入り登壇が始まったのです。
誰もが話し、誰もが聞いた。政党を超えて交差する言葉
集まったのは、総勢14名。自民党、立憲民主党、共産党、日本維新の会、参政党、れいわ新選組、国民民主党、社民党、チームみらい、再生の道……と、まさに多党多様な立場の人たち。にもかかわらず、その語らいには論破もバトルもありませんでした。あったのは、互いの言葉を丁寧に聴き、背景にある生活や思いを受けとめる対話の場でした。
それぞれの声に、思わず心が動く瞬間があった
- 自民党支持者の中年男性が「戦後の復興を信じてきた」と話すと、チームみらいの若者は「守ろうとする気持ちもわかる」と返した。
- 立憲民主党支持の20代女性が「非正規の自分には現実的だった」と話すと、参政党や自民支持者も「娘のようだ」と共感。
- 共産党支持の若者が「福祉が必要だった家族」と語ると、普段懐疑的な国民民主党支持者が「うちもそうだった」と応じた。
- 維新支持の30代が「無駄な行政に怒り」と語ると、再生の道や社民党支持者も「そこは同じ怒りだ」と意気投合。
- 参政党支持の母親が「子の未来を思う」と語ると、リベラル層からも「願いは同じ」と頷きが返った。
- れいわ支持の男性の「障害者として希望を見た」話には、自民支持者すら「政治が命に関わると実感した」と応じた。
- 国民民主支持のサラリーマンの「理想だけじゃ生活変わらない」に対し、共産支持の若者が「敵ではないと思えた」と返した。
- 社民党支持の高齢女性の「地味でも平和を語り続けている」という静かな声に、若い参政党支持者が「祖母を思い出した」と語った。
- チームみらい支持の若者は「普通の人が政治家になる夢」に立憲支持者が「昔の自分もそうだった」と共感。
- 再生の道支持者の「孤独と怒り」の語りには、あらゆる立場の人が心を揺さぶられた。
浮かび上がったのは、立場を超えた人間としての共通項
この番組で合意が形成されたわけではありません。むしろ明らかになったのは、政策の一致よりも人間としての共通基盤でした。
共通する「不安」と「願い」: 雇用、家族、社会保障への不安、政治への不信など、根底には同じ痛みがありました。
「良くしたい」という想い: やり方は違えど、「この国をましにしたい」という願いは誰もが抱えていた。
対話の価値の再発見: 顔を見て、遮らず、質問を返す。人間的な会話が分断を超える道として浮かび上がったのです。
多様性の肯定: 違いを否定するのではなく、違いの中に学びがあるという認識が、静かに共有されていきました。
ネット時代の「対話の灯火」として
この雑談配信は、SNSの炎上とは真逆の空間でした。匿名でもない、言いっぱなしでもない、顔を見て言葉を交わし合う。
長い話を最後まで聞き、背景を想像し、時に自分の認識が揺さぶられる。「異なる思想でも、対話は可能である」。その当たり前が、今の時代にはかえって驚きとして響きます。
「政治の話は分断を生む」という通念を軽やかに飛び越え、この配信は民主主義における対話の再起動とも言うべき出来事でした。
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