近年の日本市場で実際に起きている出来事が示しているのは、日本の上場企業が長年抱えてきた「投資環境の整備の遅れ」や「グローバル基準からの乖離」が、もはや放置できない段階に入ったと思わされました。
TOB(株式公開買付)やMBO(経営陣による買収)のニュースを頻繁に目にするようになった背景は、日本市場そのものの構造が変わりつつあることに起因します。
かつての日本企業は、株主からの要求に対して形式的な説明や時間稼ぎによって実質的な対応を避けることが可能でした。しかし、過去10年以上にわたる制度改正と市場改革の積み重ねによって、その逃げ道はほぼ塞がれました。
現在、日本の上場企業が突きつけられている選択肢は、「株主のために経営を変える」か、それができないのであれば「市場から退場する」か。この二者択一が、制度として現実のものになっています。
どういった制度整備がされて、今後はどうなっていくのかを書いています。
日本市場が長年抱えてきた例外構造
世界の資本市場における常識は、株式会社は株主のものであり、資本コストを上回る利益を生み出せない経営は正当化されません。株価が長期にわたって低迷すれば、経営陣は交代させられるか、企業そのものが買収対象となります。これは欧米市場では特別な話ではなく、日常的に起きてきた現象です。
一方で、日本では長らく異なる論理が支配してきました。会社は従業員やメインバンクのものであり、株主は周縁的な存在とされ、株式持ち合いによって経営陣は守られてきました。利益は内部留保として積み上げられ、PBR1倍割れや低収益が常態化しても、経営責任が正面から問われることは稀でした。この「日本版資本主義」は、国際的に見れば例外的な構造でした。
現在進行している一連の改革は、この例外構造を解体し、世界の投資マネーが理解可能な「当たり前の資本主義」へと日本市場を矯正するプロセスと位置づけるのが妥当です。
制度と市場整備はどのように揃えられてきたのか
TOBやMBOが目立つようになった背景には、単一の制度変更ではなく、10年以上にわたって段階的に進められてきた制度整備があります。以下の表は、その流れを整理したものです。
| 番号 | 施策 | 主な開始・改定年 | 対象 | 市場で起きた変化 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | スチュワードシップ・コード | 2014 / 2017 / 2020 / 2025 | 機関投資家 | 対話と議決権行使が実務として定着し、企業が株主を無視しにくくなった |
| 2 | コーポレートガバナンス・コード | 2015 / 2018 / 2021 | 上場企業 | 社外取締役や説明責任が制度化され、形式対応が通用しにくくなった |
| 3 | 東京証券取引所の市場改革 | 2022 | 上場企業 | 上場維持基準が明確化され、「上場しているだけ」の企業が淘汰されやすくなった |
| 4 | 資本コストと株価を意識した経営の要請 | 2023 | PBR低迷企業 | PBR1倍割れの放置が問題視され、改善策を示さない企業が標的化しやすくなった |
| 5 | 企業買収における行動指針 | 2023 | 買収局面の企業 | 経営陣の保身による買収拒否が困難になり、同意なき買収が現実的な圧力となった |
TOBとMBOが「増えた」と認識される背景
TOBやMBOが目立つようになった主因は、企業側の判断環境が制度面から変化し、従来は現実的でなかった選択肢が意思決定の俎上に上がったことにあります。
TOBについては、2020年以降に件数が増加していることが民間調査機関の集計から確認できます。これは企業価値や経営効率が市場で明確に評価される環境が整い、外部資本による買収が成立しやすくなった結果と解釈できます。
| 年度 | TOB件数(参考) | 市場環境の補足 |
|---|---|---|
| 2020 | 約60件台 | コロナ影響下でもTOBは一定数成立 |
| 2021 | 約80件台 | 市場回復とともに買収案件が増加 |
| 2022 | 約70件台 | 東証市場再編初年度 |
| 2023 | 100件超 | 資本コスト要請・買収指針の影響が顕在化 |
MBOは「市場や株主が厳しいから逃げた」という単純な話ではありません。上場維持コスト、ガバナンス対応、短期的な株価評価といった条件を踏まえたうえで、「上場を続ける合理性が薄れた」と経営側が判断した結果です。大正製薬やベネッセの事例は、外部環境の変化を前提に、企業自身が意思決定を行った典型例と位置づけるべきです。
一方、TOBは経営権が固定化された状態が制度的に許容されなくなったことを示しています。PBR1倍割れを放置し、改善策を示さない企業は、ファンドや競合にとって割安な投資対象となります。企業買収に関する行動指針の整備により、経営陣の同意を前提としない買収提案も制度上は正当な選択肢となりました。これは「狙われた」のではなく、「市場の評価がそのまま取引に反映されるようになった」と表現するほうが正確です。
不可逆的に進む市場の新陳代謝
この流れは、むしろ強まっていきます。
TOBや上場廃止によって銘柄数が減少し、短期的には指数が不安定になる局面もあり得ますが、中長期的には、すべての上場企業が資本効率を意識せざるを得ない環境が整いました。増配や自社株買い、不採算事業の売却といった行動が広がることで、日本市場全体の利益水準や資本の使われ方は、構造的に変化していきます。
これまで温存されてきた万年割安・低収益企業は、買収されて経営陣が交代するか、市場から退場するか、あるいは本気の改革に踏み出すかのいずれかを選ばざるを得ません。価値を生まない企業が上場市場に滞留し続けることは、もはや制度上許されなくなったのです。
総じて、現在の日本市場は、長年の「ぬるま湯」から脱し、世界標準の資本規律が実際に機能し始めた段階にあります。


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