M-1グランプリでたくろうの漫才がおもしろかった

M-1たくろう 暇つぶし

2025年のM-1グランプリの決勝だけを毎年見ています。

たうろうだけが面白く、他は笑うことはなかったです。ほぼ毎年あまりおもしろくないのですが、5年に一度くらい面白いペアがでてきます。

即効性を捨てた構造

M-1という大会は、短時間で観客と審査員の注意を奪う必要があります。そのため、多くのコンビは分かりやすいキャラクターや強い言葉を選びます。たくろうはその前提を最初から採用していません。

展開は静かで、テンポも過剰に速くない。その代わり、会話のズレを一つずつ積み上げる構成になっています。これは「瞬間的な笑い」を犠牲にし、「理解したときに成立する笑い」を選んだ構造です。

ボケが誇張ではなく現実に寄っている

たくろうのボケは、非現実的な異常さではありません。現実に存在しそうで、少しだけ嫌な人物像や考え方を提示します。あり得ないから笑うのではなく、「分かってしまうから笑う」設計です。

このタイプの笑いは、観客の経験に依存します。そのため、全員に同じ強度で届くわけではありませんが、刺さった人の記憶には残ります。

ツッコミが過剰に整理しない

ツッコミは、何が変なのかをすべて説明しません。感情を代弁しすぎず、結論を急がない。結果として、観客は一瞬考えさせられます。

この一拍があることで、笑いは受動的なものではなくなります。理解した瞬間に生じる納得感が、そのまま笑いに変わる構造です。

派手さや分かりやすさが評価されやすい大会において、たくろうの漫才は異質でした。しかし、この異質さが「今年のM-1はこういう漫才も成立する」という幅を示しました。

勝ちに行くための最適解ではないかもしれません。ただし、漫才という形式の可能性を示したという点では、非常に意味のある登場だったと言えます。

声を張らないのに空気が止まる

たくろうの漫才は、最初からテンションを上げてきません。大声も出さないし、強い言葉で押してくることもない。それなのに、会場の空気が少しずつ静まっていく感じがありました。聞き逃すと置いていかれそうで、自然と集中させられます。

この「ちゃんと聞いてしまう感じ」が、まず面白さの入り口でした。

変なのに現実から遠くない

出てくる会話や考え方は、完全におかしいわけではありません。現実にいそうで、でも近くにいたらちょっと嫌だな、と思うラインを突いてきます。そのため、笑いながらもどこか落ち着かない気分になります。

この落ち着かなさが、そのまま笑いに変わる感じがありました。ただ笑うというより、「分かってしまった」ことで笑ってしまう感覚です。

ツッコミが急かしてこない

ツッコミも、ここで笑えと言わんばかりに整理してきません。説明されない分、こちらが一瞬考えます。その一瞬のあとに、「あ、そういうことか」と理解して、少し遅れて笑いが来ます。

この遅れが心地よく、流れ作業で笑わされていない感じがしました。

見ている側の姿勢が試される

正直、気を抜いて見ていたら刺さらなかったかもしれません。でも、ちゃんと画面を見て、会話を追っていると、確実に面白さが積み上がっていきます。

「面白いかどうか」を芸人が全部用意するのではなく、こちらも半分参加しているような感覚がありました。

見終わったあとに残るもの

終わった瞬間に大きな余韻があるわけではありませんが、しばらくしてから「あの感じ、良かったな」と思い返します。派手ではないのに、記憶に残る。何度か思い出してしまう。

たくろうの漫才は、そういう面白さでした。

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