「一度も性交渉を経験しないままの人に特徴はあるのか」。
この素朴で繊細な問いに対し、2025年にPNASで発表された大規模研究は、遺伝から性格、身体的強さ、メンタル、生活習慣、さらには住む地域の性比や所得格差に至るまで、約250の要因を横断的に検証しました。
Just a moment...
本記事では、同研究が定義する生涯童貞処女群について、方法、主要な発見、具体的にどの指標が見られたのかの内訳、日本社会への示唆までを中学生にも分かる言葉で、しかし情報は削らずに網羅的に解説します。
- 研究の全体像
- 主要な発見(要点)
- 1.遺伝的寄与は「男性約17%・女性約14%」。単一遺伝子ではなく多数の微小効果が積み重なる。
- 2.学歴は相対的に高く、知能・教育関連の遺伝背景と一部重なる可能性がある。
- 3.飲酒・喫煙は少ない一方、主観的幸福度や生活満足度は低く、孤独感は高い。
- 4.男性では「身体的強さ」との関連が大きい。代表は握力などの上半身筋力指標である。
- 5.社会的ネットワークは弱く、打ち明けられる相手や友人の少なさが関連する。
- 6.地域の構造要因が効く。女性比率の低い地域や所得格差の大きい地域で割合が高い。
- 7.進化的シグナルの示唆があるが、現時点では仮説段階である。
- 8.多遺伝子スコアでの予測可能性は限定的だが有意であり、外部データでも方向性が再現された。
- 9.「性別×環境」の相互作用が示唆される。性比や所得格差などの地域要因は男性でより強く効く。
- 10.「単純な怠惰」でも「価値観だけ」でも説明できない“複合現象”である。
- 約250の要因は何だったのか
- この結果を日本でどう活かすべきか
- 誤解されがちな点
- 研究の限界
- 複合要因として見れば、支援の打ち手は増やせる
研究の全体像
対象とデザイン
- 主データ:英国UK Biobankの住民データ約40万人(39~73歳、欧州系中心)。
- 外部検証:オーストラリア成人約1万3,500人(18~89歳)。
- 定義:生涯童貞処女群=人生で一度も性交渉(オーラル・アナル含む)を経験していない。
- 分析:表現型(性格・健康・社会指標など)約250項目+全ゲノム関連解析(GWAS)と多遺伝子スコア(Polygenic Score)。
この記事の読み方
- まず「主要な発見(何がわかったか)」、次に「約250要因の内訳(何を見たのか)」をカテゴリ別に具体列挙します。
- 続いて「日本でどう活かすか」「誤解されがちな点」「研究の限界」を押さえます。
主要な発見(要点)
1.遺伝的寄与は「男性約17%・女性約14%」。単一遺伝子ではなく多数の微小効果が積み重なる。
- 生涯童貞処女群の個人差のうち、男性で約17%、女性で約14%が共通遺伝変異の総和で説明されると推定された。
- 特定の一つの遺伝子が決めるのではなく、小さな効果を持つ多数の遺伝子が足し合わさる「多因子性」の様式が示された。
- 男女の遺伝的影響の重なりは中程度であり、性別によって関与する遺伝的背景に差があることが示唆された。
2.学歴は相対的に高く、知能・教育関連の遺伝背景と一部重なる可能性がある。
- 生涯童貞処女群は平均的に学歴が高い傾向が観察された。
- 教育達成や認知指標と相関する多遺伝子スコアと、生涯童貞処女群のスコアには一部の重なりが示唆された。
- ただし学歴や知能が直接の原因かは断定できず、第三の要因(社会性や環境)を介した関連の可能性も残る。
3.飲酒・喫煙は少ない一方、主観的幸福度や生活満足度は低く、孤独感は高い。
- 飲酒頻度や喫煙率は低く、生活習慣としては節度的な側面が目立つ。
- 一方で孤独感は高く、幸福感や生活満足度は低い傾向が安定して観測された。
- 「節度的な習慣」と「低い主観的ウェルビーイング」という二面性が同時に存在する。
4.男性では「身体的強さ」との関連が大きい。代表は握力などの上半身筋力指標である。
- 男性に限ると、握力などの筋力指標や体力の低さと生涯童貞処女群の関連が相対的に強い。
- 身体的強さは出会い行動や自尊感情、活動性など複数の媒介経路を通じて影響している可能性がある。
5.社会的ネットワークは弱く、打ち明けられる相手や友人の少なさが関連する。
- 親しい友人の有無や相談相手の存在など、ソーシャルサポートの薄さが関連している。
- 家族・友人との接触頻度の低さや地域活動への参加の少なさも併走する。
6.地域の構造要因が効く。女性比率の低い地域や所得格差の大きい地域で割合が高い。
- 男性では特に、居住地における女性人口の相対的少なさが生涯童貞処女群の増加と結びつく。
- 所得不平等が大きい地域ほど割合が高い傾向があり、出会い機会や社会参加の構造的障壁が示唆される。
7.進化的シグナルの示唆があるが、現時点では仮説段階である。
- 関連遺伝子の一部で長期スパンの頻度低下が示唆され、子孫を残しにくい傾向に対する自然選択の影響が仮説として語られる。
- ただし因果経路や機能的メカニズムは未解明であり、後続研究が必要である。
8.多遺伝子スコアでの予測可能性は限定的だが有意であり、外部データでも方向性が再現された。
- 多遺伝子スコアは生涯童貞処女群の傾向を統計的に予測し得るが、個人予測に使えるほどの精度ではない。
- 別集団(オーストラリア)でも関連の方向性が再現され、一般化可能性の初期的裏づけが示された。
9.「性別×環境」の相互作用が示唆される。性比や所得格差などの地域要因は男性でより強く効く。
- 男女で共通する要因も多いが、地域構造要因の効き方には性差があり、男性側で影響が大きい傾向が見られる。
- 同じ地域に住んでいても、性別により出会い市場での不均衡の受け方が異なる可能性がある。
10.「単純な怠惰」でも「価値観だけ」でも説明できない“複合現象”である。
- 遺伝、性格、身体的健康、メンタル、生活習慣、社会的ネットワーク、地域構造が重なり合って関連する。
- どれか一つを変えれば必ず解決するという単線的な図式ではないことがデータから裏づけられた。
補足ポイント: 本章は「何がわかったか」の骨子に特化しているため、因果の向きや「意図して生涯童貞・処女を選んだ人」と「非意図的に機会がなかった人」の区別などは研究限界として別章で扱う前提である。
約250の要因は何だったのか
付録(SI Appendix)には詳細な変数表があります。
本稿では論文本文・プレスで明示された核となる要因に加え、UK Biobankで同研究がカバーした実質同等カテゴリを、分かる範囲で具体名のレベルまで列挙します。太字=本文や機関発表で明示された中核要因です。
A. 個人属性・教育・就業
- 最高学歴(学位/資格)、修学年数、専攻区分(STEM/非STEM)
- 雇用状態(常勤/非常勤/無職/退職/学生)、職種大分類、週労働時間、交代勤務
- 世帯年収階層、住居形態(持家/賃貸)、世帯規模
B. 生活習慣
- 飲酒頻度・量(少ない傾向)、飲酒種類、短時間大量飲酒の有無
- 喫煙(少ない傾向):現/元/未、開始年齢、本数、禁煙歴、受動喫煙
- 身体活動(歩行・中高強度活動・座位時間)、睡眠時間・入眠困難・中途覚醒
- 食習慣(野菜・果物・魚・肉・乳製品・加工食品・甘味・清涼飲料・外食頻度)
C. 身体測定・生理
- 身長、体重、BMI、体脂肪率、腹囲、血圧、安静時心拍
- 握力(上半身筋力)※男性で関連が強い、肺機能(FEV1、FVC、PEF)
- 視力・聴力自己申告、姿勢・機能的体力(片脚立位等)
D. 認知・学業
- 流動性知能スコア(数的・論理的正答)、反応時間、短期記憶、処理速度
- 語彙課題、得意科目の自己申告
E. 性格・心理(パーソナリティ/ウェルビーイング)
- 神経症傾向(緊張・心配)、外向性、誠実性、協調性、開放性
- 孤独感(高い)、主観的幸福感/生活満足度(低い)、ストレス
- リスク選好、自尊感情、将来展望
F. メンタルヘルス
- 抑うつ・不安症状の自己申告、気分の変動、不眠・過眠、悪夢頻度
- 精神科受療歴、抗うつ薬・抗不安薬・睡眠薬の使用
G. 性・交際・生殖
- 初交年齢、交際開始年齢、3か月超の関係経験数
- 性的パートナー数(生涯/直近)、性自認・性的指向
- 避妊、性交頻度(過去1年)、女性の経産回数・閉経、男性の生殖器疾患既往
H. 身体疾患・症状
- 高血圧、脂質異常、糖尿病、心疾患、脳卒中、呼吸器疾患(喘息/COPD)
- 消化器症状(逆流・過敏性腸症候群等)、甲状腺、皮膚疾患、片頭痛
- 慢性痛(腰痛・関節痛)、歯科健康(抜歯本数・歯周)
I. 服薬・医療利用
- 降圧薬、脂質低下薬、糖尿病薬、甲状腺薬
- 鎮痛薬の長期使用、ビタミン・オメガ3等サプリ
- 入院・救急受診自己申告
J. 家族歴・幼少期
- 兄弟姉妹数、出生順位、家族の病歴(心疾患・糖尿病・がん・うつ等)
- 出生体重、母乳栄養、幼少期の健康・経済状況、転居回数
K. 社会関係(ソーシャルサポート)
- 親しい友人の有無・人数、打ち明けられる相手の有無
- 家族・友人との接触頻度、ボランティア・地域活動、宗教活動
- 社会的信頼(「他者を信頼できるか」)
L. 地域・社会生態(居住地指標)
- 地域の性比(女性/男性比)、人口密度、都市/農村区分、主要都市への距離
- 所得不平等(ジニ係数相当)、地域貧困指数(Townsend Deprivation Index)
- 住宅価格中央値、大学卒割合、失業率、犯罪率、公共交通アクセス、緑地比率
この結果を日本でどう活かすべきか
1.孤独・メンタルの支援を基盤に据える
- 学校・大学・地域で相談窓口を整備し、孤独感や幸福度の低さに対応する。
- LINE相談やオンラインピアサポートなど、日本の若年層に合ったツール導入が有効。
2.出会いの機会設計を社会的インフラとして整える
- 男女比が偏る地方都市や過疎地で、自治体主導の交流イベントや文化活動を増やす。
- 地域スポーツクラブ、夜間図書館、地域SNSなど「自然に人が出会える仕掛け」を重視。
3.性教育・人間関係教育のアップデート
- 「解剖学・避妊」に加え、「合意形成・境界線・断り方・コミュニケーション」を教える。
- 成人後の社会教育でも、職場研修や地域講座で「人間関係スキル」を扱う余地がある。
4.身体的健康増進を社会政策に組み込む
- 男性で顕著だった握力や体力との関連に対応し、ジム利用補助や運動習慣形成を促す。
- 学校体育の質向上や企業の健康プログラム強化も間接的に影響を与える可能性がある。
誤解されがちな点
- 「遺伝で決まる」わけではない:遺伝の寄与は2割弱にすぎず、環境や機会設計が大きく関与する。
- 「怠けているから」ではない:学歴は高く、生活習慣は節度的。単純な怠惰では説明できない。
- 「恋愛したくない」ではない:意図と環境の両方が混在している。
- 「孤独=必ず生涯童貞処女」でもない:孤独と性経験の有無は方向性が複雑に絡んでいる。
研究の限界
- 因果関係を確定できない:孤独が原因か結果か、あるいは第三因子かは分からない。
- 意図/非意図の区別が未分離:「望んで経験しない」人と「機会がなかった」人を分けていない。
- 文化的偏り:対象は欧州系・中高年中心。日本やアジアにそのまま当てはまるかは不明。
- 測定の限界:幸福感や孤独感は自己申告であり、文化によって回答傾向が変わる可能性がある。
- 遺伝子解析の粒度:多遺伝子スコアは方向性は示すが、具体的な分子経路は未特定。
複合要因として見れば、支援の打ち手は増やせる
本研究は、生涯童貞処女群というデリケートな現象を、「個人の怠惰や性格の一語」で片づけるのではなく、遺伝・性格・健康・社会関係・地域構造の重なりとして定量化しました。
遺伝は2割弱の寄与に過ぎず、環境や機会設計、身体・メンタルの支援、コミュニティづくりを通じて、孤独や機会不足を和らげる余地が十分にあります。
日本での適用にはローカルデータでの再検証が要りますが、教育・保健・地域政策の連携により、「望む人には出会いと関係の可能性を広げ、望まない人には尊重と安心を提供する」という二兎を追う設計は可能です。


コメント