「コンクラーベ(conclave)」。この言葉を聞いて、日本語の「根比べ(こんくらべ)」に響きが似ていると感じて昔から気になる言葉でした。また私は、かつてバチカン市国にも訪れて、足早にですが歴史に触れてきました。

そして、「いままさにバチカンでコンクラーベが開始されようとしている」という情報に触れました。

とはいえ、「コンクラーベ」がカトリック教会にとって、そして世界の注目を集める非常に重要で、かつ神秘的な出来事であることに変わりはありません。
歴史や文化への知的な関心から、このユニークな教皇選挙システムについて知っておくことは、非常に興味深いことでしょう。この記事では、謎に包まれた「コンクラーベ」とは一体何なのか、その歴史、厳格な手順、そして興味深い側面について、詳しく解説していきます。
コンクラーベとは何か? – 鍵で閉ざされた選挙
コンクラーベ(Conclave)とは、ローマ・カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇(Pope)が亡くなった場合、あるいは(稀ですが)生前に退位した場合に、次の教皇を選出するために行われる特別な選挙会議のことです。参加資格を持つのは、世界中から集まる枢機卿(Cardinal)と呼ばれる高位聖職者たちです。
「コンクラーベ」という言葉の語源は、ラテン語の「cum clave」(クム・クラーヴェ)に由来します。これは直訳すると「鍵(clave)をもって(cum)」、つまり「鍵で(部屋に)閉じ込めて」という意味になります。その名の通り、コンクラーベの最大の特徴は、選挙権を持つ枢機卿たちが、外部から完全に隔離された空間に文字通り閉じ込められ、新しい教皇が選出されるまでそこから出られないという、極めて厳格な秘密主義にあります。
なぜこれほど厳重な秘密主義が貫かれるのでしょうか? その主な理由は、以下の2点です。
- 外部からの圧力や干渉の排除: 教皇は全世界に13億人以上いるカトリック教徒の精神的指導者であり、その選出は極めて重要です。世俗の権力者や特定の勢力が選挙に介入し、自分たちに都合の良い人物を教皇にしようとする動きを完全に排除するため、枢機卿たちは外部世界から遮断され、自由な意思決定に専念できる環境が作られます。
- 迅速な選挙の促進: 過去には教皇選挙が数ヶ月、時には数年にわたって長引いた苦い経験があります。教会にとって最高指導者が不在の状態(これを「使徒座空位 / Sede Vacante」と呼びます)が長く続くことは望ましくありません。外部から遮断され、ある種の圧力がかかる状況に身を置くことで、枢機卿たちが一致点を見出し、速やかに新しい教皇を選出することを促す目的もあります。
コンクラーベの歴史 – 長引く選挙が生んだ制度
コンクラーベの制度が確立されるまでには、長い歴史があります。初期のキリスト教会では、ローマ司教(後の教皇)は、地域の聖職者や信徒たちによって選ばれていました。しかし、教会の権威が高まり、政治的な影響力を持つようになると、教皇選挙はしばしば外部勢力の介入や内部の対立によって混乱し、長期化するようになりました。
コンクラーベ制度が確立される直接的なきっかけとなったのは、13世紀の出来事です。1268年に教皇クレメンス4世が亡くなった後、イタリアのヴィテルボで行われた教皇選挙は、枢機卿たちの意見がまとまらず、3年近くも長引くという異常事態に陥りました。業を煮やしたヴィテルボの市民たちは、痺れを切らして枢機卿たちが会議を行っていた宮殿の屋根を剥がし、食事をパンと水だけに制限して、早く結論を出すよう物理的に圧力をかけました。この強硬手段が功を奏し(?)、ついにグレゴリウス10世が選出されます。
この苦い経験から、新教皇グレゴリウス10世は1274年の第2リヨン公会議で、教皇選挙に関する厳格な規則を定めました。これがコンクラーベ制度の本格的な始まりとされています。その内容は、枢機卿を選挙のために一室に閉じ込め、選挙が長引くにつれて食事の量を減らすなど、迅速な選出を促すための厳しいものでした。その後、時代とともに規則は何度か改定されましたが、「枢機卿を隔離して選挙を行う」という基本原則は今日まで受け継がれています。
コンクラーベの厳格な手順 – システィーナ礼拝堂での祈りと投票
では、具体的にコンクラーベはどのように進められるのでしょうか。その手順は、教皇ヨハネ・パウロ2世が1996年に発布した使徒憲章『ウニヴェルシ・ドミニチ・グレギス』(Universi Dominici Gregis – 主の群れ全体)によって詳細に定められています(その後、ベネディクト16世、フランシスコによって一部改定)。
- 開催時期と場所: 教皇の死去または退位によって使徒座空位(Sede Vacante)となった後、15日から20日以内に開始されます。選挙そのものが行われるのは、ミケランジェロの『最後の審判』で有名なバチカン宮殿内のシスティーナ礼拝堂です。枢機卿たちはコンクラーベ期間中、バチカン内の宿舎「聖マルタの家」(Domus Sanctae Marthae)に滞在しますが、選挙のために毎日システィーナ礼拝堂へ移動します。
- 参加資格: 選挙権を持つのは、使徒座空位となった時点で80歳未満のすべての枢機卿です。定員は長らく120名とされてきましたが、近年の枢機卿任命により変動する可能性があります。80歳以上の枢機卿はコンクラーベには参加できませんが、事前の枢機卿会議には参加し、意見を述べることができます。
- 開始の儀式: コンクラーベ初日、枢機卿たちはサン・ピエトロ大聖堂でミサを捧げた後、列をなしてシスティーナ礼拝堂へ入場します。礼拝堂内で、全員が選挙規定の遵守と秘密保持に関する厳粛な宣誓を行います。
- 隔離の開始 (“Extra omnes!”): 宣誓が終わると、教皇儀典室長が「Extra omnes!」(エキストラ・オムネス! – 部外者は皆、退去せよ!)と宣言します。これを合図に、枢機卿と、儀式に必要な最小限の聖職者、秘書、医師などを除くすべての関係者が礼拝堂から退出させられ、礼拝堂の扉が内と外から施錠されます。この瞬間から、外部との連絡は完全に遮断されます。
- 投票プロセス:
- 投票は1日に最大4回(午前2回、午後2回)行われます。
- 投票は無記名投票ですが、誰が誰に投票したか後で検証できるよう、各枢機卿は自身の名前を判別しにくい字体で記入し、封をします。(ただし、開票時に名前は読み上げられません)
- 投票用紙にはラテン語で「Eligo in Summum Pontificem」(私は~を最高司祭に選ぶ)と書かれており、その下に候補者の名前を記入します。
- 各枢機卿は、祭壇の前に進み出て、宣誓とともに投票用紙を容器に入れます。
- 開票作業が行われ、集計結果が記録されます。
- 必要得票数: 新教皇に選出されるためには、投票総数の3分の2以上の票を獲得する必要があります。
- 投票用紙の焼却と煙の色: 各回の投票(通常午前と午後の2回分まとめて)が終わると、投票用紙と記録用紙は特別なストーブで焼却されます。この時、システィーナ礼拝堂の煙突から出る煙の色で、外部に結果が伝えられます。
- 黒い煙 (fumata nera): 新教皇がまだ決まっていないことを示します。投票用紙と一緒に濡れた藁や化学薬品を燃やして黒い煙を出します。
- 白い煙 (fumata bianca): 新教皇が選出されたことを示します! 投票用紙だけを燃やすか、化学薬品を加えてはっきりとした白い煙を出します。同時にサン・ピエトロ大聖堂の鐘が鳴らされます。
- 新教皇の受諾と教皇名選択: 3分の2以上の票を獲得した枢機卿が現れると、枢機卿団の首席枢機卿がその人物に近づき、「あなたはカノン法に従った選挙の結果を受け入れますか?」と問いかけます。その枢機卿が「Accepto」(アクセプト – 受け入れます)と答えた瞬間、その人物が新しいローマ教皇となります。続いて、新しい教皇は自らが名乗る教皇名(例:ヨハネ・パウロ、ベネディクト、フランシスコなど)を選びます。
- 告知 (“Habemus Papam”): 新教皇が選出されると、サン・ピエトロ大聖堂の中央バルコニーに首席助祭枢機卿が現れ、ラテン語で「Annuntio vobis gaudium magnum: Habemus Papam!」(アンヌンツィオ・ヴォビス・ガウディウム・マーニュム:ハベムス・パパム! – 皆さんに大きな喜びをお知らせします:我々は教皇を得ました!)と高らかに宣言します。そして、新教皇の名前と、その教皇が選んだ名前が発表されます。
- 新教皇の登場と祝福: その後、新しい教皇自身がバルコニーに姿を現し、サン・ピエトロ広場を埋め尽くした信者たちと全世界に向けて、最初の挨拶と祝福(Urbi et Orbi – ローマと世界へ)を与えます。
コンクラーベをめぐるエピソードと興味深い点
厳粛な儀式であるコンクラーベですが、長い歴史の中では様々なエピソードも生まれています。
- 長期化したコンクラーベ: 前述のヴィテルボの例が有名ですが、他にも数ヶ月に及んだコンクラーベは歴史上いくつか存在します。近代では比較的短期間で決まることが多いですが、それでも意見がまとまらず投票が繰り返されることは珍しくありません。
- 生活環境の変化: かつてのコンクラーベでは、枢機卿たちはシスティーナ礼拝堂周辺に仮設された狭い個室で寝起きし、食事も質素なものが提供されるなど、厳しい環境でした。しかし、ヨハネ・パウロ2世によってバチカン内に近代的な宿舎「聖マルタの家」が建設され、現在は個室や共同スペースなどが整備され、環境は大幅に改善されました。ただし、外部との接触禁止は厳格に守られています。
- 徹底した情報遮断: 現代のコンクラーベでは、携帯電話、スマートフォン、パソコン、ラジオ、テレビなど、外部と通信できるあらゆる機器の持ち込みや使用が厳禁とされています。システィーナ礼拝堂や宿舎には盗聴防止装置も設置されるなど、情報漏洩対策は徹底されています。
- 教皇候補 “Papabile”: コンクラーベが近づくと、メディアなどでは次の教皇候補として有力視される枢機卿の名前が取り沙汰されます。このような有力候補者はイタリア語で「Papabile」(パパビレ – 教皇になりうる者)と呼ばれます。しかし、歴史的には「コンクラーベに入る時に教皇候補だった者が、教皇として出てくることは稀である」という格言もあり、必ずしも下馬評通りになるとは限りません。最終的な選出は、枢機卿たちの祈りと熟議、そして聖霊の導きによるものとされています。
現代におけるコンクラーベ、伝統と世界の注目
インターネットが普及し、情報が瞬時に世界を駆け巡る現代においても、コンクラーベはその厳格な秘密主義と伝統的な儀式を守り続けています。白い煙が上がる瞬間は、世界中のカトリック教徒だけでなく、多くの人々が固唾を飲んで見守る歴史的な出来事であり、主要メディアも大々的に報道します。
一方で、時代に合わせて規則の微調整も行われています。例えば、ベネディクト16世は、選挙が長期化した場合に、最終的に最多得票者と次点者の決選投票で決定できる(ただし、依然として3分の2の得票は必要)とする規則を一部変更しました(フランシスコ教皇により、決選投票の場合でも常に3分の2以上の得票が必要と再修正)。これは、少数派による引き延ばし戦術を防ぎ、より円滑な選出を目指す意図があったとされます。
コンクラーベは、単なる選挙というだけでなく、カトリック教会がその伝統と信仰を次世代に継承し、世界に対するメッセージを発信する重要な機会でもあります。選ばれる教皇がどのような人物で、どのような課題に取り組んでいくのかは、教会内部だけでなく、国際社会全体にとっても大きな関心事なのです。
祈りと神秘に包まれた「根比べ」ならぬ聖なる選挙
「コンクラーベ」という言葉の響きから連想される「根比べ」のような忍耐強さも、確かに長引く選挙においては必要とされる要素かもしれません。しかし、その本質は、単なる我慢比べではなく、枢機卿たちが聖霊の導きを信じ、祈りの中で教会の未来を託すにふさわしい指導者を選ぶ、極めて神聖で厳粛なプロセスです。
外部から遮断された空間で行われる秘密選挙、煙の色による結果の告知、そして「Habemus Papam!」の歓喜の宣言。コンクラーベは、中世から続く伝統と現代的な注目が交差する、ユニークでドラマティックな出来事です。
次に白い煙がバチカンの空に昇る時、その意味をより深く感じ取ることができますね。
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