人類が「料理」という行為を始めたことで、消化という手間のかかる作業を体外に任せることができました。その結果として、消化器官は小さくなり、余ったエネルギーを脳の成長に回すことが可能になったのです。これが、私たち人間を高度な知的生命体へと押し上げた有名な「料理仮説」です。
そして今、新たな「外部化」が進んでいます。それはAI(人工知能)による思考の外部化です。
計算、記憶、言語処理といった頭脳労働をAIに委ね始めた私たち。これは人類のさらなる進化につながるのでしょうか?それとも逆に予期せぬ「退化」を招いてしまうのでしょうか?
脳の小型化が現実になる?次に進化する器官は?
料理により消化器官が縮小し脳が発達したように、AIに思考を頼ることで脳の特定領域(例えば記憶や言語処理を担う前頭前皮質やブローカ野)が縮小する可能性があります。ではその余ったエネルギーはどこへ向かうのでしょうか?
初期には、AIが苦手な感情処理や共感能力が進化すると期待されました。しかし、情報が氾濫し、人との関わりが薄まる現代では、むしろ以下のような別の進化が起こると考えられます。
- 時間知覚・主観的時間処理(海馬・前帯状皮質): あらゆる情報があふれる中で「どの時間を選んで生きるか」の判断が重要になります。つまり「退屈を楽しめる能力」や「何もない時間の意味を深く感じる力」が発達するかもしれません。
- メタ認知・選択中枢の進化(デフォルトモードネットワーク): AIがあらゆる思考を代替するとき、最後に残るのは「自分自身が何を選ぶか」という決定力です。これは内なる「意識のキュレーター」として、意味ある問いを選ぶ能力の進化を促します。
外見は変わらず、内側が進化する時代へ
かつてのように脳が物理的に大きくなるわけではありません。今の進化は「ハードウェア」ではなく「ソフトウェア」、つまり神経の配線(ニューロンプラスティシティ)の再編成による機能的な進化です。
情報が増えすぎた現代では、脳は多様な情報を同時処理するのではなく、選択的に集中する能力を強化します。「感じること」「注意を向けること」「問いを見出すこと」といった、より内面的な能力が発展する時代なのです。
すでにパソコンが人類の能力を退化させている?
実はAIに先んじて、すでにパソコンやスマートフォンといったテクノロジーが、私たちの能力を静かに奪い始めています。
例えば、かつては日常的だった「電話番号や地図の記憶」は、今ではデバイス任せ。「計算」も「文章の構成」もソフトウェアが肩代わりするようになり、手で文字を書く機会も激減しました。これにより、私たちは次のような能力を既に退化させているのです。
- 記憶力: 住所・予定・パスワードを記憶する必要がなくなり、短期・長期記憶が衰えてきている。
- 集中力: マルチタスクや通知文化により、持続的注意の維持が困難に。
- 書字能力: 手書きの減少により、正確な漢字・スペルが書けない現象が日常化。
つまり、AIによる退化は「突如としてやってくる変化」ではなく、すでにパソコンやスマホによって始まっている「連続的な能力の委譲と劣化」の延長線上にあるのです。
AIの急速な進歩が生む、人類の「退化」リスク
しかし、ここで深刻な問題があります。人間の生物学的進化は非常にゆっくりである一方、AIの進化速度はあまりにも速く、人類が対応する間もなく、脳の能力が退化する可能性があります。
私たちはAIに依存して自分で考える力を失い、選択や判断をAI任せにしてしまいがちです。その結果、知的怠惰や孤独、AIとの共依存状態に陥る危険性が指摘されています。
人類は進化より先に退化する可能性が高い
現状を冷静に分析すると、AIが提供する便利さに頼りすぎることで、私たちは進化するより先に退化してしまう可能性が非常に高いのです。これは原始的な状態への回帰ではなく、「判断や創造を放棄した脳の抜け殻化」と言えるでしょう。
しかし希望もあります。一部の人々はAIをうまく利用し、自ら考え、選択する主体性を保ち、新しい思考や感情のパターンを創造する可能性を持っています。
大多数はAIに使われる側に陥りやすく、退化の危機を迎えるでしょう。これを避けられるのは、自らAIとの関係を設計し、主体的に生きる人だけです。
AIは人類に「考えない自由」を与えました。その自由を退化への道とするか、新たな進化へのチャンスとするかは、私たち自身の意識にかかっています。
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