山梨県笛吹市に、地元でキノコ仙人と呼ばれる85歳の男性がいます。彼は桃やぶどうの農業を営む傍ら、毎秋になると山へ分け入り、天然キノコを見事に採集してきます。2024年の調査記録では、15回の採集のうち12回で何かしらの成果を上げており、その予測精度の高さは際立っています。
驚くべきことに、この名人は自分のやり方はほぼ自己流だと言い切ります。誰かに発生場所を教えてもらったわけでも、専門書を読み込んだわけでもありません。長年の観察と経験の中で、自然界のルールを自ら読み解いてきたのです。
笛吹市のキノコ文化とキノコ仙人について
山梨県笛吹市といえば、桃とぶどうの生産量が日本一という果樹の町として知られています。市の面積の約6割が森林で、農業が盛んな一方、秋になると多くの住民が山へキノコ採りに出かけるという文化が根付いています。
市内には天然キノコを扱う農産物直売所が複数あり、コウタケ(香茸)やウスズミ(ウラベニホテイシメジ)など、スーパーではまず見かけない希少なキノコが秋限定で並びます。中でもコウタケは、地域ではマツタケと同等かそれ以上の値がつく最高級品とされています。
コウタケ(香茸)とは:
香りコウタケ、味シメジと称されるほど、独特の強烈な香りが特徴の天然キノコです。醤油に似た芳香を持ち、乾燥させると香りがさらに増します。人工栽培が現在のところできないため、採れる時期は年に1週間程度と非常に短く、松茸以上の希少種とも言われています。調理の際は必ずしっかりと火を通し、アク抜きをする必要があります。
キノコ仙人と呼ばれるAさん(85歳)は、山梨県内で農業を営む傍ら、秋には天然キノコの採集・直売を行ってきた人物です。地元で生まれ育ち、38歳で笛吹市に転居してから本格的にキノコ採りに打ち込み始め、以来40年以上にわたって山と向き合ってきました。
Aさんの知識で特筆すべき点は、発生場所を誰にも教えてもらわなかったという点です。キノコ採集の世界では、自分のシロ(発生場所)を秘密にするのは絶対のルールで、10人が10人とも教えない自分の子どもにも教えないと言われるほど情報が秘匿されます。そのためAさんは、地域で得た基礎知識をベースに、独自に山へ通い詰め、観察を繰り返しながら発生の法則を自力で解き明かしていったのです。
山を読む技術 その1:山の相でキノコがある山を見抜く
Aさんが山に入る前に最初にチェックするのが、山の相と彼が呼ぶ独自の概念です。これは簡単に言えば、山の斜面にどんな木がどのように生えているかを遠目に確認することです。
ある日Aさんは、車で農園へ帰る途中に車を路肩に止め、遠くの山を指さしてあの山を今狙っていると言いました。1度も入ったことのない山なのに、なぜキノコがいると判断できるのでしょうか。その答えは木の種類と配置にあります。
Aさんが良い相の条件として挙げるのは次の通りです。山の高いところにマツの木があり、その周囲や低いところにナラやクヌギなどの広葉樹が生えていること。この植生の組み合わせが見られる山は、キノコが発生しやすい環境が整っているとAさんは判断します。
なぜマツとナラの組み合わせが重要なのか:
コウタケやマツタケをはじめ、天然キノコの多くは菌根菌と呼ばれる種類で、特定の樹木の根と共生関係を結んで生きています。マツ科やブナ科(ナラ・クヌギなど)はこうした菌根菌の宿主となりやすい樹種です。キノコは菌糸を木の根に絡ませ、光合成で作られた糖をもらう代わりに、窒素やリンなどの栄養を木に供給するという、お互いにとって利益のある関係を築いています。
この山の相を見るという技術は、広大な山の中からキノコがいる可能性の高い山を絞り込む、いわば第一次スクリーニングの役割を果たしています。まず山を選んでから、次に場所を探すという発想で、無闇に山へ飛び込まないのがAさん流です。
山を読む技術 その2:山中での4つの観察ルール
山を選んだ後は、山中での具体的な行動の判断が必要になります。どの斜面を目指し、どこで立ち止まり、どこで引き返すのか。Aさんはこれを以下の4つの知識をもとに判断します。
(1)毒キノコを見たら、食用キノコがある合図
Aさんによれば、食用キノコが山にあるときは、必ず毒キノコを含む様々な種類のキノコが同時に大量発生しているといいます。だから毒キノコや見知らぬキノコを発見したとき、Aさんはそれをゴミ扱いするどころか食用キノコがある可能性のサインとして積極的に活用します。実際の採集中に小さな白いキノコの群生を見つけたとき、Aさんは採取もせず種の同定もせず、ただじゃあちょっとはあるかもなとつぶやいてその斜面に踏み込んでいったといいます。
(2)土が乾いていたら見切りをつける
山に入るとAさんは必ず地面の土を観察し、時に手で触って湿り気を確認します。乾いた土壌ではキノコは発生しないという確信があるからです。ある採集日に乾いてんなぁとこぼしたAさんでしたが、少し歩いたところで土が湿ってきたのを確認し、それほど乾いてねぇから大丈夫と予測を切り替えました。土の状態が、採集継続か撤退かの判断材料になっているのです。
(3)南向きの斜面を狙う
キノコは南向きの斜面に多く発生するとAさんは言います。キノコの発生には多少の日当たりが必要で、日中の日差しを正面から受ける南斜面はその条件を満たしやすいからです。薄暗いスギ林を1時間近く歩き続けた末、尾根を越えて日当たりのいい南向き斜面に出たとき、Aさんはここは南側だから、何かしら出るかもしれんよとつぶやき、その斜面を丁寧に探しました。その結果、複数のウスズミを収穫することができました。
(4)草が密生している場所には入らない
キノコは下草が密集するような場所には生えず、土が露出したような場所を好みます。これは下草が日光の地表への照射を遮るためだとAさんは考えています。ある採集日、Aさんは道路から斜面へ入ろうとした瞬間にここはないからやめたと断念しました。その斜面にはシノ(ササ)が高密度で生育し、地面の土が見えないほどに茂っていたのです。
| 観察ポイント | 判断の内容 |
|---|---|
| 毒キノコや雑キノコを発見 | 食用キノコがある可能性のサインとして入山を判断 |
| 土の乾湿を確認 | 乾燥していれば見切り、湿っていれば採集継続 |
| 斜面の向き(南向きか) | 南向き斜面を優先的に探索する |
| 下草の繁茂具合 | 草が密生していれば入山を断念し別の場所へ |
山を読む技術 その3:キノコ同士の関係を使う
Aさんの知識の中でとりわけ面白いのが、キノコ同士の発生が連動しているという洞察です。特にコウタケとウスズミ(ウラベニホテイシメジ)の関係は興味深いものがあります。
Aさんによれば、山の低いところにウスズミが大量発生しているとき、その山を登るとコウタケが出ている可能性が高いといいます。逆に、ウスズミがなければコウタケもほぼない。これら2種の発生は連動しているというのです。
実際の採集でも、山の中でウスズミを見つけたAさんはじゃあ(コウタケも)あるかもしれんなとつぶやき、さらに高みへと登り続けました。キノコを採るためにキノコを手がかりにするという、経験から生まれた独自のナビゲーション技術です。
また、スギ林とナラ林の境界線上にはウスズミが出やすいという知識も持っており、下山の際にわざわざその境界沿いを歩くことでキノコとの遭遇率を高めるという工夫もしています。ルートの選択一つにも、緻密な知識と計算が込められているのです。
いつ採るかを決める技術:暦より自然を信じる
キノコがどこにあるかを読む技術と並んで重要なのが、いつ採りに行くかの判断です。
Aさんには、10月10日の体育の日が採集の最盛期という大まかな暦のガイドラインがあります。しかし彼は暦は全くあてにならないとも言い切ります。その年の天候や気温次第で発生時期は大幅にずれるからです。
キノコそのものを季節の物差しにする
そこでAさんが使うのが、山の中のキノコを季節の目安として読むという方法です。例えばドクッタマゴ(テングタケ科の毒キノコ)、ウスズミ、ミネゴシは本来シーズン序盤(9月末ごろ)に発生する種です。10月下旬にこれらを見つけたAさんはドクッタマゴがある。やっぱり今年は早い(発生が遅れている)と分析しました。
逆に、イグチ(ハナイグチ)は終盤のキノコ。10月5日という中盤のはずの時期にイグチを見つけたAさんはもうキノコが生えないかもしれないと一時は心配しました。しかし直後に序盤を告げるウラドリ(ヌメリイグチ)を発見し、これがあるからまだしばらく発生が続くと予測を修正しました。
暦ではなく目の前のキノコの種類を見て、山固有の季節を特定するのです。
雨・刺激・気温が発生の引き金になる
Aさんはさらに、降雨・地への刺激・気温の3つをキノコを目覚めさせる引き金として理解しています。
特に雨については樹の葉に遮られず地に届くほどの雨が降ると、数日後にキノコが一斉に出ると考えています。ある採集日、山の中で大雨に遭遇したAさんはこれはよほど降ったな。これはいいかもしれない。10日あたりと5日後のキノコの出を予測しました。
また台風や地震でも同様で、地が揺さぶられるとキノコがびっくりして一斉に目を覚ますという表現でこれを説明します。逆に気温が18度を下回る日が3日続くとキノコが寝てしまうと言い、低温が続く時期には採集に行かないという判断をします。
科学的裏付けもあった!雨とキノコの関係:
東北大学の研究グループが2023年に発表した研究では、雨が降るとキノコの電位が変化し、キノコ間で電気シグナルが伝達される可能性があることが野外で初めて測定されました。雨が降るとキノコが出るというAさんの経験則は、現代科学の研究とも呼応しているといえます。
シロという秘密の財産
Aさんが採集に訪れる場所のことをキノコ採りの世界ではシロと呼びます。菌根菌は毎年少しずつ広がりながら同じ場所でキノコを発生させるため、一度シロを見つければ翌年以降も同じ場所で採れる可能性が高いのです。
Aさんはすべてのシロを地図上に記録していますが、場所は秘密です。現在までに確認されているシロは50か所以上と推察され、2024年も新たに2〜3か所のシロを開拓したといいます。その一方で2024年の採集記録を見ると、1日で15か所ものシロを巡る日もあり、常に複数の候補地を持ちながら状況に応じて柔軟に動いていることがわかります。
Aさんが成果なしの回数が少ない理由の一つはここにあります。一つの場所にこだわらず、その日の条件(天気・土の状態・前回の発生状況)を見ながら最適な場所を選べるだけの、豊富なシロのストックを持っているのです。
長年の観察が自然を読む目を育てる
Aさんの技術をひとことで表すなら、自然の中に散らばったサインを読み、つなぎ合わせて行動に変える力といえるかもしれません。
山の木の種類を見てキノコがある山を絞り込み、土の湿り気や斜面の向き、草の生え方でエリアを絞り込み、目に入るキノコの種類から今山がどの季節にいるかを特定し、雨や気温の変化でいつ採りに行くかを判断する。それぞれの観察が積み重なり、一つの大きな予測を形成しているのです。
そしてこれらは、本や学校では教わらない知識です。誰かに教えてもらうこともできなかった知識です。こういう時は出る、こういう時は出ないというパターンを、何十年もかけて自分の体と目で積み重ねてきた結果が、今のAさんの技術を作っています。
現代に生きる私たちは、便利なスマートフォンや検索エンジンで多くの情報にアクセスできます。しかし、山の中のキノコの在り処を突き止める知識だけは、まだアプリもAIも教えてくれません。人が自然と向き合い続けることでしか得られない知恵が、確かにこの世界には存在しているのです。
Aさんは今も毎秋、山へ向かいます。遊んでると本人は笑いながら言いますが、その目は山のどこかにある目に見えない宝を探し続けています。

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