トム・ソーヤーの冒険を書いたマーク・トウェインといえば、冒険好きな少年を主人公にしたユーモアあふれる物語で世界中の読者を魅了した文豪というイメージが強いです。
そんな彼が晩年に書き残した一冊が、実は自己啓発の世界でひっそりと劇薬と呼ばれていると知っていますか? その名も『人間とは何か?』。
人間は機械にすぎないというショッキングな主張を軸に、老人と青年が火花散らす対話形式で展開されるこの作品は、100年以上たったいまも読む人の心を揺さぶり続けています。
トム・ソーヤーの作者が書いた、まさかの哲学書
マーク・トウェイン(1835年〜1910年)は、ミズーリ州の小さな村に生まれ、印刷工・水先案内人・鉱山探鉱者・新聞記者とさまざまな職を転々とした末に、小説家として大成した人物です。トム・ソーヤーの冒険(1876年)やハックルベリー・フィンの冒険(1885年)はベストセラーとなり、彼の名は世界中に知れ渡りました。
ところが晩年のトウェインは、破産・家族の相次ぐ死・病苦と、まるで嵐の中を歩くような人生を送っていました。妻と子ども3人に先立たれ、投機への失敗で巨額の借金を抱え、借金返済のために世界中を講演して回るという日々を過ごしたといいます。そんな経験を重ねた70歳の老文豪が、自分の魂の辿り着いた場所を言葉に残したのが人間とは何か?という作品なのです。
この本が最初に出版された1906年(死の4年前)、トウェインはあえて匿名で発表しました。内容があまりにも世間の常識に反していたため、自分の名前を出すことをためらったといわれています。それほどに危険で過激な思想が詰まった一冊なのです。
豆知識:ハレー彗星と一緒に去った男
マーク・トウェインが生まれた1835年はハレー彗星が観測された年でした。トウェインは生前、自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、ハレー彗星と共に去るだろうと周囲に語っていたといいます。そして驚くべきことに、彼が亡くなった1910年4月21日は、75年ぶりにハレー彗星が再び現れた日でした。まるで自らの運命を予言していたかのような、不思議なエピソードです。
人間は機械であるとはどういう意味か?
本書の核心は、ひとことで言えば人間機械論です。登場する老人(トウェイン自身の投影とも言われます)は、理想に燃える青年に対して、こんな主張を繰り返します。
人間は気質(生まれ持った性格・傾向)と外的要因(育った環境・受けた教育)の組み合わせによって行動が決まる存在だ、というのです。自分で自由に考え、自由に決断していると思っていても、それはすべて自分の精神が最も安らぐ選択をしているにすぎない。つまり人間の行動を動かす唯一の動機は自己満足であり、どんな善い行いも、どんな自己犠牲も、最終的にはそれをすることで自分の心が満たされるからという理由に行き着く、というわけです。
たとえば人のために尽くすのは自己犠牲だと思っているとします。でも老人に言わせれば、それは相手のために何かをすることで、自分の良心が満足するからその行動をとっているにすぎないのです。母親が子どものために身を削るのも、ボランティアで困った人を助けるのも、突き詰めればそうしないと自分が不快だからそうすることで自分が満たされるからという動機がある、というのが老人の主張です。
これを聞いて人間ってそんなに利己的なの?とがっかりするかもしれません。しかしトウェインの言う機械は、単なる批判や絶望ではなく、人間の本質を客観的に見つめた言葉です。
機械と言われると絶望的に聞こえるが、実は逆の読み方もある
面白いのは、この人間は機械だという考え方が、受け取り方によっては大きな解放感と希望をもたらしてくれるという点です。
本書の漫画版を監修した東京大学教授・石原剛氏(日本マーク・トウェイン協会会長)は、このメッセージをこう読み解いています。人間は機械である。だからこそ、自由に生きられると。
どういうことでしょうか。自分の行動がすべて気質と環境によって形作られたものだとわかれば、自分を過度に責めたり、他人を一方的に責めたりしなくてよくなります。失敗したのも、悪い癖が直らないのも、理不尽な人間が存在するのも、それぞれの気質と環境が生み出した結果にすぎない、とも言えるからです。
読者の感想の中には未来はすでに決まっているので自分の人生の制作者に期待して、楽しく生きていこうと思えたという声があります。またこの考え方は苦悩する人、弱い人を救う語りだという感想も寄せられています。自分を責め続けることをやめ、あるがままの自分を受け入れるきっかけとして、この人間機械論を活用することもできるのです。
関連知識:フロイトとの驚くべき共通点
人間は内なる承認欲求に服従する機械にすぎないというトウェインの主張は、精神分析の父ジークムント・フロイトが自我は超自我に服従すると述べた考えと驚くほど似ています。両者はほぼ同時代の人物でしたが、直接の交流があったという記録はありません。異なるアプローチから人間の同じ本質に辿り着いていた点は、非常に興味深い偶然といえます。
本書の構成:老人vs青年の白熱対話
本書はプラトンのソクラテスの対話を彷彿とさせる形式で書かれています。人生に幻滅した老人と、人間の良心を信じる理想主義の青年が徹底的に議論を重ねる形で物語が進みます。青年がでも、自己犠牲や母の愛はどう説明するんですかと食ってかかるたびに、老人は鋭い論理と豊富な事例で反論し、青年を次第に黙らせていく構成になっています。
章ごとのテーマを見ると、その射程の広さがよくわかります。
| 章のテーマ | 核心の問い |
|---|---|
| 人間は機械である | 人間は自己満足の奴隷か? |
| 人間が持つ唯一の衝動 | 家族愛も称賛も自己満足か? |
| 自己犠牲の正体 | それは本当に誰かのためか? |
| 訓練と教育 | 人間は生まれで決まるか?育ちで決まるか? |
| 本能と思想・自由意志 | 人間は動物より上か?わたしを動かすのは誰か? |
老人はこれらすべての問いに対して人間の行動の動機は自己満足ただひとつという一貫した答えを出し続けます。一見単調に見えますが、事例と論理の積み重ねが巧みで、読み進めるうちにもしかしてそうかもしれない…と思わされていく独特の説得力があります。
自由意志は存在するのか? トウェインの核心に迫る
本書でとくに深いテーマが自由意志についてです。私たちは自分の意思で考え、選択していると信じています。しかし老人は人間が自分で生み出すものは、ひとつの意見でさえも、ひとつの考えでさえも、何ひとつないと言い切ります。
あなたが好きな食べ物だと思っているものも、大切にしたい価値観だと思っているものも、幼い頃に出会った人・経験した出来事・読んだ本・身を置いた環境から受け取ったものです。純粋に自分が生み出した考えというものは、じつは存在しないのかもしれません。
これはトウェインが悲観的に語った結論ですが、ドイツの哲学者ヘーゲルが自由とは必然性の洞察であると述べたこととも響き合います。自分が環境や気質によって形作られた存在だと理解することで、逆に自分の限界を知り、謙虚に、そして誠実に生きるという境地に辿り着けるのです。
現代人が人間とは何か?から受け取れるメッセージ
この本が劇薬と呼ばれるのは、読んだ後に世界の見え方が変わるほど強烈なインパクトがあるからです。しかし正しく使えば、日常生活を豊かにする3つの処方箋になります。
処方箋1:自分を責めすぎるのをやめる
なぜ自分はいつもこうなんだろうと悩む場面は誰にでもあります。しかしトウェインの視点に立てば、その行動パターンは生まれ持った気質と、これまで過ごしてきた環境が組み合わさった必然の結果です。自分を責める前に、自分はこういう気質を持っていて、こういう環境にいたんだと客観的に認める。そこからしか、本当の意味での改善は始まりません。
処方箋2:他人の言動に過剰反応しない
理不尽な行動をとる人、どうしても理解できない人に出会ったとき、この人はこういう気質と環境によって形成された存在なんだと思うことができれば、無駄に傷つかずに済みます。それは諦めではなく、人間への深い理解です。
処方箋3:理想を高く持ち、訓練し続ける
老人は絶望だけを語っているわけではありません。本書の中でキミの理想をただひたすらに訓練し、高く、さらにずっと高く頂を目指すことだ。その境地に達すれば、キミ自身の至高の喜びを見出すことができるとも語っています。機械である人間は、適切な環境と訓練によって、より良い自分になっていける。それがトウェインの伝える希望です。
どのバージョンから読むのがおすすめ?
『人間とは何か?』には複数の翻訳版・編集版があります。初めて読む方には、東京大学教授の石原剛氏が監修し、漫画形式でわかりやすく再現した漫画『 人間とは何か? 自己啓発の劇薬 マーク・トウェインの教え(文響社)』がおすすめです。哲学的な内容が視覚的に理解しやすく、さらに九州大学准教授の妹尾武治氏によるAIと人間はどう違うのか?という現代的コラムも収録されており、読み応えがあります。
活字で読みたい方には、岩波文庫版(中野好夫訳)や、角川文庫のトウェイン完訳コレクション版など複数の選択肢があります。いずれも対話形式で展開されるため、文章の難しさのわりに読み進めやすいのが特徴です。
トム・ソーヤーの冒険しか知らなかった人が本書を読むと、まったく別の顔を持つトウェインに出会えます。人生の荒波を乗り越えてきたからこそ辿り着いた、あの老文豪の深くて鋭い人間観。一度触れたら、きっとあなたの人間の見方が変わるはずです。


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