円安に歯止めをかけるための為替介入が、ふたたび大規模に行われました。財務省は5月29日、4月28日から5月27日までの1か月間で、総額11兆7349億円もの円買いドル売り介入を実施したと発表しました。
月間としては過去最大で、2024年大型連休中の9兆7885億円を上回ります。それでも相場は1ドル159円台へ戻り、効果を疑う声が広がっています。ここから一歩進んで、円はもう円安方向にしか動かないのか、それとも教科書どおりいつか円高へ揺り戻すのか、という大きな問いまで一気に考えてみます。
過去最大の11.7兆円を投じても円安は止まらなかった
今回の介入のきっかけは、4月30日に1ドル160円台後半まで進んだ急激な円安でした。約1年9か月ぶりの円安水準です。政府と日銀は同日夜に2024年7月以来となる円買い介入に踏み切り、相場は4時間あまりで5円以上動いて155円台半ばまで戻しました。さらに大型連休中も断続的に介入を重ねたとみられています。
それでも効果は長続きしませんでした。5月28日には一時1ドル159円60銭台を付け、約1か月ぶりの円安水準まで逆戻りしています。11.7兆円を投じて得られた円高は、1か月でわずか1円ほどに縮んでしまった計算です。2022年以降の円買い介入は累計で36兆円を超えましたが、それでも円安傾向は続いており、介入が根本治療ではなく対症療法にとどまっている様子が浮かび上がります。
| 実施時期 | 介入額 | 主なきっかけ |
|---|---|---|
| 2022年9月から10月 | 約9.2兆円 | 日米金利差の拡大 |
| 2024年4月から5月 | 約9.8兆円 | 日米金利差の拡大 |
| 2024年7月 | 約5.5兆円 | 投機的な円売り |
| 2026年4月から5月 | 約11.7兆円 | 有事のドル買いと原油高 |
そもそも介入だけで相場の流れは変えられない
日銀の調査によると、日本の外国為替市場の1日あたりの取引高は2025年4月時点で約4402億ドルにのぼります。足元のレートで円に直すと、1日でおよそ69兆円もの取引が動いている計算です。
つまり11.7兆円という介入額でも、市場の1日の取引のおよそ6分の1にすぎません。しかも今回は1か月をかけて少しずつ行われました。毎日まいにち巨大な需給がぶつかる市場に対して、一度に投じられる金額は限られています。これでは流れそのものを押し戻すのは難しいのです。
豆知識 介入は流れを変える政策ではなく時間を買う政策:
専門家の多くは、為替介入を時間を稼ぐための政策だと説明します。一時的に相場を動かして市場に警戒感を植え付け、その間に円安の原因が落ち着くのを待つという考え方です。流れを力ずくで変えるのではなく、痛みのピークを先送りして時間を確保する手段だと理解すると、効果が一時的になりやすい理由が見えてきます。
今回の円安が特に止まりにくい本当の理由
実は今回の円安は、過去の局面と性質が異なります。2022年や2024年の円安は、主に日本とアメリカの金利差が原因でした。金利の高いドルへ資金が流れる動きが中心で、いずれ金利差が縮まれば自然に和らぐと期待できました。
ところが2026年の円安を押し上げているのは、中東情勢の緊迫と原油価格の高騰です。アメリカとイスラエルによるイランへの軍事攻撃をきっかけに、換金しやすい基軸通貨であるドルへ資金が逃げ込む有事のドル買いが加速しました。原油高は資源を輸入に頼る日本の貿易赤字を膨らませ、円を売る圧力に直結します。これらは日本の政府や日銀の力では直接コントロールできません。原因が国内政策の外側にあるからこそ、今回の介入は過去にも増して効きにくいのです。
円安はもう一方向なのか
今の日本の実力では、もう円安方向にしか進めないのでしょうか。結論から言うと、構造的に円安へ傾きやすくなっているのは事実です。
かつて日本は分厚い貿易黒字で円が買われる国でした。ところが生産の海外移転とエネルギー輸入で、貿易収支は赤字に傾く年が増えています。さらにクラウドや広告で海外IT企業へ支払うデジタル赤字、新NISAを通じて家計が外国株を買う資金流出も、恒常的な円売り圧力になっています。物価の違いを調整した実質実効為替レートは、すでに数十年ぶりの安値圏です。円は実力ベースでもかなり安い状態だと言えます。
ただし為替は循環もします。今回の主因である中東情勢や原油高、日米金利差が反転すれば、円は一気に買い戻されます。2024年夏には低金利の円で資金を借りて運用するキャリー取引の巻き戻しが起き、短期間で大きく円高へ振れました。一方向だと決めつけるのは早計です。
教科書どおりなら円安はいつか円高へ揺り戻す
では、1ドル200円のような極端な円安まで進めば、そこから円高へ反転するのでしょうか。理論上はその揺り戻しが働くはずです。円が安くなれば日本製品が割安になり、輸出が伸びて貿易黒字が戻り、円が買われて円高へ向かう、という流れです。
これは購買力平価という考え方そのもので、長い目で見れば為替は二国間の物価の差に沿って調整されるとされます。安すぎる通貨は、いずれその国の輸出競争力を高めて買い戻される。200円で工業力があれば再び円高へ、という見立ては、この自己調整の理屈に沿っており、筋はしっかり通っています。
ところが日本の自動調整装置は半分壊れている
問題は、この温度調節装置が日本では十分に働かなくなっている点です。最大の理由は、まさに工業力をめぐる変化にあります。
生産の多くがすでに海外へ移ったため、円が安くなっても輸出の数量が昔ほど伸びないのです。企業は現地で作って現地で売り、その利益を円換算で大きく見せるだけで、国内から余分に作って輸出する動きは鈍くなりました。その結果、200円まで進んでも輸出ブームではなく、輸入インフレの痛みだけが先に表面化する、いわゆる悪い円安に陥るおそれがあります。少子高齢化による人手不足や、輸入に頼るエネルギーコストの高さも、国内増産の足かせです。
つまり、揺り戻しの前提である工業力の回復が今は弱いという評価になります。揺り戻しの前提が欠けたまま円が安くなると、円高への自動ブレーキが効きにくく、安い水準に長くとどまる展開も十分ありえます。
豆知識 良い円安と悪い円安の分かれ道:
同じ円安でも、輸出数量と国内生産が増えて所得が回るなら良い円安、輸入価格の上昇で家計や中小企業の負担だけが増えるなら悪い円安と呼ばれます。両者を分けるのは、安くなった円を実際の輸出と国内投資につなげられるかどうかという実体経済の力です。為替の数字そのものよりも、この変換力が効いているかを見るのが大切です。
頼みの綱の対外純資産も思ったより円を支えない
円安の歯止めとして、よく日本の豊富な海外資産が挙げられます。日本は長年、世界最大の対外純資産国でした。ところが2024年末の残高は533兆円で過去最高を更新しながらも、569兆円のドイツに抜かれ、34年ぶりに世界2位へ後退しました。3位の中国も516兆円と肉薄しています。輸出で稼ぐ力が落ち、貿易赤字とデジタル赤字が広がったことが背景にあります。
さらに見逃せない事実があります。貿易赤字なのに経常黒字を保てているのは、主要国でほぼ日本だけという点です。それを支えるのは、海外への直接投資が生む所得の黒字です。聞こえはよいのですが、稼いだ利益の多くは現地で再投資され、円に戻ってきません。だから巨額の海外資産は円安のクッションにはなっても、相場を直接押し上げる力は思ったより限られているのです。
何が円高への転機になるのか
悲観する材料ばかりではなく、揺り戻しの芽もいくつか育ち始めています。円安で割安になった日本を訪れるインバウンド観光客の急増は、外貨を円に変える実需を生みます。半導体工場の国内回帰のようなリショアリングが本格化すれば、国内生産と輸出が増え、壊れかけた調整装置を補修する力になります。
外部環境では、アメリカが利下げに動いて日米金利差が縮まる、中東情勢が落ち着いて原油高が一服する、といった変化が円買いを促します。介入が時間を買う政策だとすれば、こうした好転と重なったときにこそ効果が表れます。逆に原因が解消しないまま介入だけを続けても、効果は限定的なまま弾薬を減らすことになります。下の表に、円高へ転換しうる主な条件と今の状況を整理しました。
| 円高への転換条件 | 現状の評価 |
|---|---|
| 中東情勢の安定と原油高の一服 | 緊張が続き先行きは不透明 |
| アメリカの利下げ転換 | 時期は流動的で要注目 |
| 輸出と国内生産を伴う工業力の回復 | リショアリングは初動段階 |
| インバウンドによる外貨の円転需要 | 増加が続き追い風 |
円安を止める2つの力がどちらも弱っている
今回見えてきたのは、円安を止めるはずの2つの力がそろって弱まっているという現実です。政策の側では、過去最大の介入でも1日69兆円が動く市場の流れは変えられませんでした。市場の側では、安い円が輸出を増やして円高へ戻すという自動調整が、工業力の空洞化の影響で働かない状況です。
もう円安方向しかないと言い切るのは行き過ぎですが、放っておけば自然に円高へ戻るという楽観も同じくらい危ういと言えます。200円で工業力があれば円高へ、という見立ての核心は正しく、勝負を決めるのは円の水準よりも、安い円を輸出と生産の復活につなげられるかどうかという実体経済の側です。次に介入や円安のニュースを見たときは、金額の大きさだけでなく、その裏で工業力と原因がどう動いているかにも目を向けてみてください。


コメント