世界トップレベルの理論物理学者が、真剣に、そして科学的な根拠をもって主張しているのは時間は存在しない。
イタリアの物理学者カルロ・ロヴェッリの時間は存在しない(NHK出版)。本国イタリアで18万部を超え、35か国で刊行された世界的ベストセラーです。
タイム誌のベスト10ノンフィクション(2018年)にも選ばれていますが、哲学や物理学の知識がないと途中で読む気が失せるかも知れない難しい抽象性があります。
著者カルロ・ロヴェッリとはどんな人物か
カルロ・ロヴェッリは1956年にイタリアのヴェローナで生まれた理論物理学者です。ボローニャ大学卒業後にパドヴァ大学大学院で博士号を取得し、現在はフランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で量子重力理論の研究チームを率いています。
彼はループ量子重力理論の提唱者の一人として知られています。これは、アインシュタインの一般相対性理論と量子力学という、現代物理学の二大柱を統合しようとする試みです。ホーキングの再来とも称され、その研究の深さと、一般読者に向けてわかりやすく語れる才能を兼ね備えた、稀有な科学者と言えるでしょう。
前作のすごい物理学講義や世の中ががらりと変わって見える物理の本も世界で100万部超を売り上げており、本書はその延長線上に位置するロヴェッリの代表作のひとつです。
本書の構成と全体像
本書は大きく3つのパートに分かれています。第一部時間の崩壊、第二部時間のない世界、第三部時間の源へという流れで、読者を少しずつ、しかし確実に、日常の時間感覚とは全く異なる世界へと連れていきます。
| パート | テーマ | 内容の要点 |
|---|---|---|
| 第一部 | 時間の崩壊 | 物理学が明らかにした時間が場所によって違う方向がない現在は存在しないという事実 |
| 第二部 | 時間のない世界 | 量子重力理論から導かれる時間変数のない世界の基本方程式とその意味 |
| 第三部 | 時間の源へ | それでもなぜ私たちは時間を感じるのか。エントロピー、記憶、意識との関係 |
注目すべきは、この本に数式がほとんど登場しないという点です。詩や哲学からの引用が随所に散りばめられており、理系の知識がなくても読み進められるように工夫されています。
第一部:私たちが信じていた時間はすでに崩壊していた
時間は場所によって違う速さで流れる
まず第一部で衝撃を受けるのは、時間は場所によって進む速さが異なるという事実です。これはアインシュタインの一般相対性理論から導かれる話で、山の頂上では海辺よりもわずかに時間が速く進みます。重力が弱い場所ほど時間の進みが速くなるのです。
これは理論だけの話ではなく、GPS衛星の時計は地上の時計と微妙にズレが生じるため、位置情報を正確に計算するために毎日補正が必要です。私たちが普段カーナビやスマートフォンの地図アプリを使えるのは、この時間のズレをきちんと補正しているおかげとも言えます。
時間には方向がない
もうひとつ驚かされるのが、物理法則には過去から未来へという時間の方向性がないという点です。ニュートン力学の方程式を見ても、時間の変数tは正にも負にも取れる値です。つまり方程式の上では、時間を逆向きに流しても物理法則は成立するのです。
ボールが落ちる映像を逆再生しても、物理的に矛盾はありません。私たちが時間は過去から未来へ流れると感じているのは、方程式の性質ではなく、私たちの感覚や記憶があるからです。これについては第三部でさらに深く掘り下げられます。
宇宙全体に共通する今は存在しない
さらに、現在という概念も崩れます。1光年離れた星にいる人に今何してる?と聞いたとして、その星の今はあなたが感じている今とはまったく別の時刻です。光の速さには限界があるため、宇宙全体で共有できる同じ瞬間(今)というものは存在しないのです。
豆知識:GPS衛星と相対性理論
GPS衛星は地球から約2万km上空を時速約1万4000kmで飛んでいます。高速で動くと時間が遅れる(特殊相対性理論)一方、重力が弱い高空では時間が速く進む(一般相対性理論)という、相反する効果が同時に働いています。これらを補正しないと、1日で約10km以上の誤差が生じてしまいます。私たちの日常生活は、すでに相対性理論の恩恵を受けて成り立っているのです。
第二部:物理の基本方程式から時間が消えた
第二部ではさらに踏み込んだ話になります。ロヴェッリたちが構築したループ量子重力理論の基本方程式には、時間変数が存在しないのです。宇宙を記述する最も根本的な方程式の中に、時間という概念が出てこない。これが時間は存在しないという主張の核心です。
また、量子論の視点からは、時間にも最小単位が存在することがわかっています。それがプランク時間と呼ばれる単位で、10の-44乗秒というとてつもなく小さな値です。これ以上細かい時間は存在しないということは、時間は連続的ではなく、飛び飛びの離散的な値であることを意味します。私たちが時間を滑らかに流れるように感じているのは、あまりにも細かすぎて区切りが認識できないからに過ぎません。
そして第二部の締めくくりとなる重要な結論として、ロヴェッリはこう述べます。存在するのは、出来事と関係だけ。これが、基本的な物理学における時間のない世界なのである。世界は固定した物でできているのではなく、出来事と出来事の関係のネットワークでできている、という考え方です。
第三部:それでもなぜ私たちは時間を感じるのか
エントロピーが時間の矢を生み出す
物理法則に時間の方向がないにもかかわらず、私たちは過去から未来への一方向の流れを感じます。この謎を解く鍵がエントロピーです。
熱力学第二法則によれば、エントロピー(乱雑さ)は常に増大する方向に向かいます。割れた卵は元に戻らない、熱いコーヒーは冷めるが冷えたコーヒーが自然に熱くなることはない。こうした一方向の変化が時間の矢として私たちに感じられるのです。
ロヴェッリはさらに踏み込んで、このエントロピーの増大すら、私たちが宇宙のごく一部をぼんやりとした視点で見ているから生じると主張します。ミクロレベルの全情報が見えたなら、過去と未来の区別はなくなるかもしれないのです。
記憶と予測が時間感覚を作る
では私たちはなぜ時間を体感するのでしょうか。ロヴェッリの答えは記憶と予測の組み合わせです。エントロピーの増大は世界に痕跡を残します。その痕跡を脳が過去の記憶として処理し、未来を予測する仕組みと組み合わさったとき、私たちはそれを時間の流れとして感じます。
つまり時間とは、宇宙の外側に客観的に存在するものではなく、私たちの脳と意識が生み出す内的な体験である可能性が高いのです。この考え方は、時間は精神の中にあると語った古代の哲学者アウグスティヌスの直感と、不思議なほど重なります。
関連情報:時間をめぐる哲学者たちの言葉
古代ギリシャのアリストテレスは時間とは変化の数であると述べ、時間が物の変化を計る尺度に過ぎないと考えていました。17世紀のニュートンはこれに反して絶対時間という概念を導入しましたが、現代物理学はむしろアリストテレスの直感に近い結論に戻りつつあります。ロヴェッリ自身もアリストテレスの言う通りだったと本書の中で述べています。
この本が私たちに問いかけること
時間は存在しないという結論はその先に、もっと豊かなメッセージを込めています。
時間が私たちの苦しみや死への恐怖の源であると彼は言います。過去を後悔し、未来を不安に思う。それは時間という概念があるからこそ生まれる感情です。しかし物理的には、過去も未来も今と変わらない出来事のネットワークの一部に過ぎません。この視点は、禅や仏教の無常という考え方とも深くつながります。
本書の第三部はロヴェッリ自身が最も難しく、それでいていちばん生き生きとしており、わたしたち自身と深く関わっていると述べているパートでした。
こんな人に特におすすめ
数式がほとんど登場せず、詩や古典文学の引用が豊富で、読み物としての面白さも十分です。物理学の本は難しそうと思っている方にこそ、ぜひ手に取ってほしい一冊です。
時間というものを深く考えたことがある人、相対性理論や量子力学に興味はあるけれど難しい本は苦手という人、あるいは哲学的・精神的な問いを日常の中で感じている人、そういった方々に特に響く内容だと思います。
| こんな人におすすめ | この本から得られるもの |
|---|---|
| 物理学に興味があるが難しい本は苦手な人 | 数式なしで最先端物理の本質を理解できる |
| 哲学や存在について考えるのが好きな人 | 科学と哲学が交差する知的興奮を体験できる |
| 過去や未来への不安を感じやすい人 | 時間への新しい向き合い方のヒントを得られる |
時間という当たり前を疑うことで見えてくるもの
時間は存在しないは、この世界の時間構造は私たちの素朴なイメージとは異なるという、物理学の最前線からの誠実なメッセージです。
時間はいつでもどこでも一定ではなく、方向もなく、宇宙全体に共通する今すらない。それでも私たちは時間を感じ、記憶を持ち、未来を夢見て生きています。その感覚もまた、宇宙の一部として起きている出来事のひとつなのかもしれません。


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